- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県太宰府市
- 広報紙名 : 広報だざいふ 令和7年3月1日号
■岩屋磨崖仏(まがいぶつ)石塔群第1号塔〜中世後期の宝篋印塔(ほうきょういんとう)〜
本市の北側には、四王寺山が鎮座しています。この南側、岩屋地区の中腹に露頭した花崗岩(かこうがん)岩盤から突き出した岩の下部に、磨崖仏と呼ばれる、仏を示す種子(しゅじ)(神仏を示す梵字(ぼんじ))や宝塔・宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの塔が、数カ所にわたって彫られています。
今回とりあげるのは、この磨崖仏石塔の第1号塔です。この塔は、塔身の月輪(がちりん)内に●(ah・アク・天鼓雷音如来(てんくらいおんにょらい)、不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)、金剛薩埵(こんごうだった)(金剛界(こんごうかい)))の種子が刻まれています。一番下にある基礎部に彫られた銘文を見ると、この塔は故人の三十三回忌のために作られたことがわかります。年号はわかりませんが、年号に続く十干十二支(じっかんじゅうにし)の「丁卯(ひのとう)」だけ残っています。
『太宰府市史』によると、1号塔は3号塔に比べて新しい時期に彫られており、造塔年代は干支・丁卯から、嘉禄(かろく)元(1387)年か文安(ぶんあん)4(1447)年と推定しています。今回改めて検討したところ、1号塔の特徴が細身、隅飾りが外反、周辺の粗雑な彫り窪めなのに加えて、基礎部の横幅が狭く縦に長いことを加味して、文安4(1447)年よりさらに後の永正(えいしょう)4(1507)年の時期と判断しました。また、石塔塔身に刻まれている仏を示す種子が、三十三回忌の本尊とされる●(Trāh・タラーク・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ))ではないことも注目する点です。江戸時代に広まる三十七回忌では、アク・金剛薩埵が本尊のため、この石塔は三十七回忌が定着する前の過渡期の様相が表れているとも考えられます。
磨崖仏が彫られた中世後期の太宰府は、少弐氏・大内氏・大友氏などの勢力争いの中で、目まぐるしく主が変わる戦乱の時代でした。石塔銘文には「大姉」とあり、女性を追善(ついぜん)供養したものと思われます。戦乱の厳しい時代に聖地・四王寺山に宝篋印塔を作ることができたのはどのような人々だったのか、また供養された女性はどのような人物だったのでしょうか。興味は尽きません。
文化財課
髙橋 学(たかはし まなぶ)
※●に当てはまる種子は本紙裏表紙をご覧ください。
※岩屋磨崖仏は急斜面にあるため、見学は安全に十分留意してください。
▽訂正・お詫び
令和7年2月号「太宰府の文化財477刀伊の入寇」の掲載図に誤りがありました。訂正内容は、ホームページ(ID39164)をご覧ください。