- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県朝倉市
- 広報紙名 : 広報あさくら 第410号(令和7年4月号)
■言葉で社会が明るくなれたら
「健常者」と聞いて、皆さんはどのような人を思い浮かべますか?
私が読んだ『差別語を考えるガイドブック』という本に「身体の一部、もしくは幾つかの部分が不自由な人を、一般的に『障がい者』と呼んでいます。では、身体に不自由な部分がない人を何と呼ぶのでしょうか。『健常者』といわれることが多いようですが、果たしてこの言葉は適切な表現といえるでしょうか」と書かれており、そこに、はっとさせられました。
「障がい者」の対義語として表されるのが「健常者(常に健やかである人)」だとすると、「障がい者」が不健康だということなのか?それは違うでしょう。障がいを抱えていても、元気に自分の好きなことをして過ごしている人もいますし、障がいを抱えていなくても、さまざまな病気で不健康な人もいます。「健常者」という言葉は、専ら医学的、学術的な面で使われることがあるようです。しかし普段の生活の場において、障がいを抱えた人と区別をするような用い方をした場合、その言葉に傷ついている人がいるかもしれません。私は日常にこんなにもあいまいな言葉があるのだということに気付かされ、何も考えずにいた自分の浅はかさを知りました。
また、昔からことわざなどで使われていた言葉が、現代では見直され、差別用語として認識されているものもあります。例えば、目が見えない人を表す差別用語がありますが、私の祖母は、以前、悪気なくその言葉を使っていました。
言葉は個人が作ったものではなく、社会の影響を受けながら、日常に定着しています。また、一度定着したものは、すぐにはなくなりません。差別的な表現や言葉は、その成り立ちに深い歴史があるため、これをなくしていくには、より意識していく必要があります。
そうしてこれから紡がれていく言葉は、一人ひとりの思いやりによって社会をより明るくするものであって欲しいと考えます。
問合せ:市人権・同和対策課
【電話】52-1174