その他 あさくらびと No.45

地域で話題になっている人や団体、企業などを紹介するシリーズ。
第45弾は、朝倉市親善大使の井本勝幸さんを取材しました。

■Interview
朝倉市親善大使 井本勝幸さん
学生時代から日本国際ボランティアセンターで世界各国の難民支援に関わり、28歳で仏門へ。
2011年からミャンマーの少数民族武装勢力の地域へ入り、2015年のミャンマー政府との全土停戦協定締結に貢献。2012年から旧日本軍兵士の遺骨収集をはじめる。後ろ盾や資金のない状態でも支援活動を続けたことから「ゼロファイター」の異名を持つ。
朝倉市との縁は上浦の報恩寺の副住職に就任したことから。2019年には朝倉市親善大使に就任。現在も日本での活動拠点は朝倉市で、(一社)日本ミャンマー未来会議代表や日本経済大学特命教授などを務める。

◆不撓不屈の精神で挑む“ゼロファイター”
○農業×仏教
小さい頃からニュースなどを通じて開発途上国支援に興味を持ち、独学で学んでいました。途上国支援に役立つのは農業だと考え、高校卒業後は東京農業大学へ。日本国際ボランティアセンターにも所属し、ソマリアやタイ、カンボジアの難民支援に関わりました。10年程活動を続けるうちに「アジアの人々を救うには仏教が必要」と考え、28歳で出家。立正大学に通いながら池上本門寺で修行し、叔父が運営する報恩寺の副住職に就任しました。

○ミャンマーでの支援活動
副住職就任後、仏教徒による支援団体「四方僧伽(しほうさんが)」を設立。これは仏教用語で「世界中どこでも仏教徒同士助け合いなさい」という意味です。朝倉市とアジア圏を往復し、約20年間の活動で22カ国の仏教国ネットワークが広がりましたが、ここに参加できなかった国がミャンマーでした。
当時、ミャンマー政権の影響で、国内は集会も許されない状況。政府と少数民族武装勢力の対立も顕著でした。さらに、巨大台風が直撃し国内情勢は混乱。ミャンマーの仏教徒仲間から「助けてほしい」と四方僧伽に声がかかりました。
当時の政権下では正規ルートでの支援が難しく、タイとの国境付近で食料支援を行いましたが、すぐに国外退去処分に。しかしこの活動が、付近を統治する少数民族の興味・信頼を得ることにつながりました。少数民族同士の結束をさらに強くさせるため「統一民族連邦評議会」を発足。政権も変わり、政府と少数民族との和平の動きがはじまりました。私は仲介役として和平協議に参加でき、双方対話を重ねて、ミャンマーの全土停戦協定につながりました。

○仏さまの導き私の使命
和平仲介のお礼として少数民族から旧日本軍兵士の遺骨収集が提案されました。ビルマ戦線で亡くなった旧日本兵が眠るのは少数民族が統治する土地。実際に遺骨を目の当たりにし「日本へ帰すことが僧侶である私の使命」だと感じました。現在1万6千柱の遺骨を発見していますが、ミャンマー国内でクーデターが起き、活動が難しい状態です。
これまでさまざまな活動を行い、たどり着いたのが遺骨収集。仏さまの導きだと実感しています。何としても早期に再開し、1人でも多くの旧日本兵を国へ帰したいと思います。皆さんには少しでも私の活動を知っていただき、お話しする機会をいただけると幸いです。

◆ゼロファイター井本勝幸~これまでの活動~
ミャンマーで亡くなった旧日本軍兵士の遺骨4万5千柱が未帰還。当時を知る現地ミャンマー人の証言などから遺骨収集を進め、これまで3千柱以上を日本へ帰還させる。現在は国内情勢の悪化により、ミャンマーの人道支援を行い、遺骨収集は活動に賛同する現地ミャンマー人の発掘チームが続けている。
※Facebook・HP(旧日本兵遺骨収集の詳細は、日本ミャンマー未来会議HPへ)の詳細は本紙またはPDF版をご覧ください。