- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県築上町
- 広報紙名 : 広報ちくじょう 2025年7月号(248号)
■第一四九回 郷土史家 稲葉倉吉(いなば くらきち)
現在、私たちが築上町の歴史を知ろうとするとき、まず目を通すのが『椎田町史』(平成十七年刊行)や『築城町誌』(平成十八年刊行)です。現在までの築上町の歴史が時代別・項目別にまとめられています。これらは郷土史を学ぶ方々が長い期間を通して積み重ねてきた調査研究の成果でもあります。
稲葉倉吉(一八七六―一九四〇)は現在の築上町小山田で生まれ、旧制中学校で歴史教育に携わりました。昭和八年(一九三三)に退職した後は、『築上郡史』を編纂(へんさん)した岡為造(現吉富町出身/一八八六―一九五七)や『築上新聞』を創刊した大江俊明(現豊前市出身/一八九四―一九五四)とともに郷土史を古文書等の残された史料から客観的に調査研究し、多くの業績を挙げました。
稲葉の業績で築上町に関連のあるものをいくつか挙げると以下のとおりです。
(一)延塚奉行の遺書発見
小山田の旧庄屋宅に保管されていることを昭和十二年の築上新聞で紹介。この遺書は現在、築上町文化財に指定され、歴史民俗資料館で展示されています。
(二)城井高畑城址の発見
応安七年(一三七四)宇都宮冬綱は突如、室町幕府に反乱を起こしますが、その舞台となった「高畑城」が築上町松丸立屋敷であると、昭和九年の築上新聞に発表しました。根拠は、近くに高畑という小字地名があることと、地形に城郭(じょうかく)の痕跡を残すことです。現在では、高畑城は神楽城(みやこ町犀川木井馬場)ではないかと考えられていますが、平成十一〜十六年度の発掘調査で南北一五〇メートル×東西一二〇メートルの大規模な館跡(やかたあと)であることがわかりました。宇都宮氏館跡(うつのみやしやかたあと)を最初に紹介し、後世に発掘調査を行う先鞭(せんべん)をつけた功績は大きいでしょう。
(三)本庄の大楠にまつわる伝説と史実
享保十三年(一七二八)の杣始祭(そまはじめさい)式典の流れを中心に、昭和十二年の築上新聞で紹介。寛政四年(一七九二)の大楠の木版画では幹の空洞部入口に石を積んで塞いでいたといいます。この版画は「大楠宮略伝」(育徳館高校錦陵同窓会所蔵/みやこ町歴史民俗博物館寄託)と同版で、内野東庵(一八四一―一九二六)作成版画の原図と考えられます。
研究成果は主に『築上新聞』紙面で発表されましたが、彼の死去後、岡為造によって『豊前郷土史論集』にまとめられました。この他にも、青木横濱(あおきよこはま)(現在の福岡市西区今宿)の元寇防塁築造(げんこうぼうるい)に豊前地域の武士団が関わったことや、南画家の田能村竹田(たのむら ちくでん)が椎田を訪れたことを史料から紹介しています。
(文化財保護係 馬場克幸)