文化 紫式部(むらさきしきぶ)・和泉式部(いずみしきぶ)・小式部(こしきぶ)の物語 挿絵(11)

最終回

多久家資料『小しきふ(小式部)』を編集

次の物語は、小式部の名を高らしめた内容で、『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』や『十訓抄(じっきんしょう)』など多くの著作に採用されています。
御門(みかど)が寵愛(ちょうあい)された小松が枯れ、これを惜しまれ、「神も草木も歌の道になびくと聞いている。和泉式部を急ぎ召して、松の祈りに歌を詠(よ)ませよ。」との宣旨(せんじ)がありました。和泉式部は丹後国にいたため、小式部の内侍(ないし)が、「先ず私が詠んで献上します。」と奏上(そうじょう)しました。「急ぎ詠んでみなさい。」との宣旨でしたので、小式部は参内(さんだい)し、〔ことはりや かれてはいかに ひめこまつ 千世をばきみに ゆづると思へば〕(道理で当たり前のことですよ 枯れてはどうするのですか姫小松よ 永遠の命を帝にお譲りするのが あなたの役目だと思いますのに)と詠みました。すると、小松は生き返り栄えたので、小式部は御褒美(ごほうび)を賜(たまわ)りました。[挿絵11]
ところが、この和歌は母親の和泉式部が、娘の小式部のために送ったものだと、意地悪く言う人がおり、帝からお訊(たず)ねがありました。そこで小式部は〔おほへ山 いくのゝみちの とをければ まだふみもみず あまのはしだて〕(大江山を通って 生野へ行く道は遠いので まだ丹後国の天橋立を見たこともありませんし 母からの文も見ておりません)と詠み、帝は大いに賞賛(しょうさん)されました。ですから、是非とも歌の道を嗜(たしな)むべきですと、物語は締めくくられています。

※原本の挿絵は色絵になっています。郷土資料館に写真を掲示していますので、お立ち寄りの際にご覧ください。

多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)