- 発行日 :
- 自治体名 : 佐賀県多久市
- 広報紙名 : 市報たく 令和7年8月号
ー少貮政資(しょうにまさすけ)・資元(すけもと)の墓ー [市重要文化財]
多久町一七六六番地(専称寺)
戦国武将少貮氏の先祖、武藤資頼(すけより)は建久7年(1196)に源頼朝から太宰府の太宰少貮と肥前・筑前・豊前の守護を任じられ、西北九州の政治、軍事をにぎりました。その後役職名の少貮を姓とし、永禄2年(1559)龍造寺隆信(たかのぶ)にほろぼされるまで15代続きました。戦国期に周防国(すおうのくに)(現山口県)の大内氏に侵攻されましたが、13代政資のとき勝利し、太宰府の支配を一時回復します。しかし再び攻められ肥前に追われました。
弟千葉胤資(たねすけ)の小城晴気(はるけ)城から多久梶峰(かじみね)城へとのがれた政資は、多久宗時(むねとき)(前多久氏14代)を頼りますが断られ、明応6年(1497)専称寺の境内で自害しました。政資の子14代資元も同じく多久で没し、専称寺墓地に葬られ、今も父子の墓がのこります。中世の史実を伝える貴重な資料として昭和55年に指定されました。
境内には他に政資にまつわる伝説を伝える「核割(たねわ)れ梅」の紅梅の木と、腰かけたという血曳(ちび)きの石、寺内に父子の位牌があります。
(教育振興課)