文化 多久市の指定文化財(6)

ー前多久家石造供養塔(まえたくけせきぞうくようとう)ー [市重要文化財]
南多久町大字下多久一三三九番地一(延寿寺)

前多久家初代の多久太郎宗直(むねなお)は初め津久井(つくい)氏といい、仁安2年(1167)に摂津国(せっつのくに)難波(なんば) (大阪府)の多久に生まれました。源頼朝(みなもとのよりとも)の御家人(ごけにん)としての数々の戦功により建久4年(1193)肥前国多久荘に12万石を与えられ、地頭職として多久に下向しました。下多久(現南多久)の庄に陣内(じんのうち)城(館)を築いて本拠地とし、その後上多久(現多久町)に梶峰(かじみね)城を築き多久氏と改姓しました。旧館陣内城を廃してその跡に菩提寺として創建されたのが安国山延寿寺(えんじゅじ)であると伝えます。
前多久家は初代宗直から第14代多久宗時(むねとき)まで約340年続き、戦国期に龍造寺氏に追放されました。延寿寺の墓地には宗直以下5代の供養塔があります。寺の資料から宗直(初代)、宗清(むねきよ)(6代)、宗澄(むねすみ)(8代)、宗次(むねつぐ)(不明)、宗時(14代)と伝え、左側の大きいものが宗直といいます。形態は室町時代初期以降の五輪塔(ごりんとう)とみられ市内でも古いものに属します。昭和53年に指定。寺内には同5代の名を記した位牌や、宗直と伝える肖像画掛軸が残ります。
(教育振興課)