- 発行日 :
- 自治体名 : 長崎県島原市
- 広報紙名 : 広報しまばら 令和7年3月号
茂 良子さん
島原市在住
認知症の人と家族の会長崎県支部の島原「お城の会」代表。認知症の夫の介護をしていた時に、「お城の会」に救われたという気持ちが強く、元ケアラーとして参加者に寄り添う。
■「毎日泣いてました」
そう語るのは、認知症の人とその家族が集う会「お城の会」の代表、茂良子(しげりょうこ)さん(77歳)です。良子さんは、48歳から66歳までの18年間に渡り、家族と協力して認知症の夫を介護していた経験があります。そこにはどんな苦労があり、また、どんな悩みがあったのでしょうか。
▽ケアのはじまりは突然に
初市前日、生業の海産物販売の出店準備後の帰り道に夫が倒れ、島原の病院に運ばれました。脳梗塞でした。
翌日は初市初日。
夫に付き添えない後ろめたさを感じながらも、病院から初市に向かう怒涛の一週間が始まりました。
「朝から晩まで働いて病院に向かう。日中の夫を看てもらうため県外に就職していた息子に帰って来てもらいました。2人の息子たちには大変な思いをさせたと思います。」
左半身マヒになり杖が欠かせない生活となった夫は、3週間後に長崎市の病院に転院。そのころから脳血管性認知症が始まりました。
■「他人と身内じゃ全然違う仕事の時は優しい声かけができるけど家族には厳しいのよ」
良子さんは30代の頃、島原市保健センターで、寝たきり高齢者の訪問の経験がありましたが、夫には厳しくあたってしまう事もあり、身内の介護の大変さを痛感したと言います。「主人に言った言葉なんか、決して他の人に対しては言えない。仕事の時は優しい声かけができるけど家族には厳しいのよ。お風呂に入れるとも全部介助でしょう。
『わーがでせんね』とかね、『なんもしわえんくせにー』とかね、その時は心に余裕がなく、苦しかったんだと思います。」
夫の認知症の症状が重くなると、良子さんの負担も増えていきます。仕事と家事に加えて介護。夫の隣で寝ていた良子さんは、毎晩のパットの交換もあり夜も寝られません。「おーい、おーいってずっと夜中に呼び起こされていました。きつかったね。」
▽「毎日泣いていた」
夫には妄想もあり暴言を吐かれる日々。毎日泣かされたと言います。
ある日、耐えられずに夫を倒して家を飛び出したことがありました。「介護虐待ですよね。洗面所で暴言を吐かれたので耐えられずに、夫を倒してそのまま家を出ました。戻って帰ってきたら、夫はそのままの状態でしたから。その時は、申し訳なかった、本当に申し訳ないことをした、と悔いました。」
脳裏に焼き付いた光景。自分を責める日々。大好きな夫。相談できる人や場所を探す気力もなく、周りに悩みを話すこともできず、悶々とした日々を過ごしていました。
▽お城の会
平成23年6月。良子さんを励まそうと、知り合いから声がかかりました。「お城の会」の立ち上げです。集まったみんなを前に話し始めると涙が止まりませんでした。「約20年抱えていた自分の悩みを打ち明けると感情が押さえきれない。涙ながらに訴えると、この会の皆さんに受け止めてもらって助かりました。介護はひとりじゃない、頑張らなーって思えました。」と、話すことで胸のつかえがとれるような思いだったと良子さんは話します。
▽すい臓がん
平成26年4月。夫が急激に痩せ、すい臓がんになり、歩くこともできなくなりました。「がんになったら歩くこともなんもできない。命が限られとったけん、よそにやるわけにはいかん。大好きな主人ばね、息子たちも我が家で看ようって。3か月やった。」
平成26年7月20日 夫死去。
夫は、家で子どもと孫の声を聞きながら家族に囲まれて亡くなりました。
令和7年1月27日。お城の会の集まりにおじゃますると、参加者に笑顔で話しかける良子さんの姿がありました。
夫を看取り10年。お城の会に救われたという良子さんは、ボランティアの協力もあり、認知症の方やケアラーの心のよりどころになればと代表として活動を続けています。「仕事に介護。仕事をさておいて行かんばて、なかなか踏み切れないと思います。毎回じゃなくてもいいけん来てみて。私もものすごく苦しいこともあったけど、ここに来てひとりじゃないと思えた。あなたもひとりじゃないよ。」ご自身の経験をもとに、今悩んでいる方たちへ、良子さんは優しくそう語りかけました。