- 発行日 :
- 自治体名 : 長崎県対馬市
- 広報紙名 : 広報つしま 令和6年11月号
■稲作と鉄製農具
弥生時代から稲作に伴う集団定住生活が始まり、農耕や開拓のための道具が発展していきます。
稲作が伝来した当初(約3,000年前)は、湿地帯を活用した土地(湿田(しつでん))を、石や木製の農具を用いて、耕作していました。湿田は常に水を含んだ土壌のため、水を引く技術がなくても栽培できる利点がある反面、作業がしにくい欠点がありました。
弥生時代中期(約2,000年前)頃になると、乾いた土地(乾田(かんでん))に水を引いて稲作を始めます。乾田は水量を自由に調整できるため、作業がしやすく中干し(※)ができるため収穫量も増加しました。しかし、従来の農具で乾いた土地を耕作することは容易ではなく、鉄製の刃先を持つ農具が登場しました。刃先といっても様々な形状があり、方形の鉄板の両端を折り込み木に固定したもの(方形鍬鋤先(ほうけいくわすきさき))やU字形の刃先を装着したもの(U字形鍬鋤先(じがたくわすきさき))、現代のシャベルのように刃の根元に木を挿入する袋部が設けられたもの(サルポ形刃先(がたはさき))などが使われました。
現在、対馬で稲作の跡は発見されていませんが、椎ノ浦(しいのうら)遺跡(峰町志多賀)から鉄斧(鉄製鋤(すき)先と報告されています。)が出土しており、博物館に展示されていますので観察してみてください。
※中干し…夏に一度水を抜き、土を乾燥させ稲を強くすること。
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