- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県湯前町
- 広報紙名 : 広報ゆのまえ 2025年11月号
■相良三十三観音めぐりと御詠歌(3)
▽二十六番 上里の町観音
国道沿いにある上里の町観音堂については、ほとんど記録がなく、くわしいことは分かっていません。本尊は室町時代後期の聖観音立像(町指定文化財)です。
井口武親・美辰の御詠歌には「二十六番町湯前」とあり次の2首です。
「ねがひつゝ 西のむかへを まちをらん 心に染むる むらさきの雲 武親」
「みな人の 心のやみを てらさんと まち出る月の 影のさやけさ 美辰」
どちらにも「まち(町)」の文字が詠み込まれています。
上里の町観音堂の前には、「佳柳軒自岳智幽居士(かりゅうけんじがくちゆうこじ)」と刻んだ墓碑があり、側面の文字から、万延元(1860)年11月7日に38歳で亡くなった加美屋治助(かみやじすけ)という人の墓だと分かります。
背面には「冬川の 流れに落ちし 枯葉哉(かな)」という句が刻まれています。加美屋治助という人は、なかなかの風流人だったと思われます。上里の町観音に行かれたときには、この墓碑にも注目してみてください。
▽二十七番 宝陀寺観音
瀬戸口区辻の宝陀寺観音もくわしい来歴などは不明ですが、一説には久米氏の寺ともいわれています。本尊の十一面観音立像(熊本県指定重要文化財)は鎌倉時代後期に作られたもので、そのころには寺もあったものと思われます。宗派は臨済宗でした。
井口氏の御詠歌には「二十七番久米法(宝)陀寺」とあり、当時この辺りが、久米と認識されていたことがうかがわれます。もともと久米は、現在の湯前町からあさぎり町上あたりにかけての地域を「久米郷」と呼んでいたことに由来する地名でした。
「代々(よよ)の人 のくめども尽きぬ 法(のり)の水 ふかきおしへの かぎり知られず 武親」
「のりの水 くめども尽きぬ 山の井の ふかき誓いは そこきよくして 美辰」
御詠歌には地名の「くめ(久米)」が詠み込まれています。
教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)
