- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県九重町
- 広報紙名 : 広報ここのえ 令和7年6月号
『不断鶴はタンチョウ?』
文化財調査委員 阿部 秀幸
飯田高原の朝日長者伝説をご存じでしょうか?1300年以上昔、朝日長者と呼ばれる大金持ちがおりましたが、次第に傲慢になり、酔った勢いで鏡餅を的にして矢を射るという暴挙に及びます。射られた餅は1羽の白鳥となって飛び去り、人々は「あの白鳥は白鳥神社のお使いに違いない。何か悪いことが起こらねばよいが。」とささやき、その懸念通り、長者は没落してしまったというお話です。朝日長者伝説には7つの不思議なエピソードが七不思議としてまとめられています。今回は七不思議の一つ「不断鶴」とその舞台である千町無田について考察しようと思います。
不断鶴のお話しは次の通りです。
「長者屋敷につがいの鶴が住んでいました。子を産むと親鶴はどこかへ去り、その後も代々雌雄二羽が生き続けていたので、“不断鶴”と呼ばれていました。ある日心無い猟師によって鶴は撃たれて死んでしまいました。その供養のため鶴之墓が建てられました。」
長者屋敷に鶴がずっと住んでいて、繁殖もしていたという話ですが、これは実際にあり得るのか考えてみたいと思います。
日本では数種類の鶴が見られますが、タンチョウ以外の鶴(ナベヅル、マナヅルなど)は全て冬に北国から日本に渡って来る渡り鳥です。一方、タンチョウは長距離を移動することは少なく、日本では北海道東部を中心に1年中見られます。(※中国などに生息しているタンチョウは長距離の渡りをするため、「タンチョウは渡り鳥ではない」と言い切ることもできません。)「ずっと住んでいる」ということは渡り鳥ではないため、不断鶴に登場する鶴の候補は、タンチョウに絞られると思います。また、鶴之墓がある千町無田はかつて湿原地帯だったようです。タンチョウは湿原を中心に生息する鳥で、この点でも可能性があると言えるでしょう。
現在の日本ではほぼ北海道にしかいないタンチョウですが、江戸時代までは九州でも記録があるようです。そして、北海道のタンチョウの研究において、タンチョウのつがいが繁殖するために必要な大まかな面積が示されているのですが、この面積は千町無田の面積に近いのです。
これだけの材料に個人的なロマンを加えると、不断鶴に登場する鶴はタンチョウだと考えていいのではないかと思えてきます。このような伝承もその地の歴史を現代に伝えるものとして侮れないものを感じます。