- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県九重町
- 広報紙名 : 広報ここのえ 令和7年7月号
町指定文化財「山の神・大将軍のクヌギ」を探して
文化財専門員 西村 威
住所は町田字高江である。(番地は4826と4827である)住所はわかちゃいるけど…「文化財専門員でさえ確認ができていない」と先月の文化財調査員会で指摘がありました。専門員とは私のことかと恥じ入っていた次第です。実はこの町田字高江在住のクヌギは昨年度から随分探していたのです。踏査回数計六回!昨年度はさっぱり見当がつかずにとうとう大雨による林道決壊現場に遭遇し、当面は断念せざるを得ない状況に陥りました。
今年度、仕切り直しということで前述の会のこともあり、大いに発奮して今度こそはと息巻いていました。しかし、立派な車道ができた現代は、かつて人々が徒歩で歩き回った里山、それを囲むようにあった里の小道、あるいはその里と隣の里を結んだ道が、車の通れる幅のある道を除いて、ほぼ道なき道になってしまって、半分、原野として又は杉林としてその中に埋没してしまっているのです。今回も踏査行は困難を極めました。かつて至る所にあったお伊勢様に参りに行った高江の人達は山の神・大将軍の祠のある小高い丘まで戻り、一休みをして、弁当を食べたりして、山の神・大将軍の祠に手を合わせてからそれぞれの家に帰って行ったそうです。私は今回、二回程、高江から麻生原の間の山林を彷徨して感じたことは至る所に昔の人々が歩き回った道らしきものや、道だったところ、何かの神社の境内に続くかのような石垣などが残っていて、里の山々とはこんな風にあって、里人の歩く音や人々の声が聞こえてくるような気がしたことでした。今は暗い杉林が多く、当時の面影からは程遠い景色なんでしょうが。今は昔、豊かで活気のある山村、里の秋、村祭り、次から次へと私の心の中でイメージが湧いてきたその瞬間、遂に大きなクヌギの木が霞の中から二つの祠と共に抜け出たように静かに、しかし強烈に目に入ってきました。私はオ~~と思わず大きな声を上げていました。その時、私は私がクヌギを探し求めていたようにクヌギの方でも人間をかなりの時間、待っていたのではないかと何故か思ったのです。
「しばらくじゃないか、お前たちが最後に来てからどれだけの時間が流れたのだろう…待っていたんだ、…でもおそかった…」私は涙が出てきてしかたなかったのです。
私たちは随分変わった。里山を歩かなくなって山は見る影もなく荒れていった。立派な車道を車で動き回るのみの日々。効率的に、合理的に、人々は生き方を変えてきた。庚申塔としての猿田彦、山の神様(女神様らしい)、牛馬の守護神としての大将軍、昔の人々が祈りを捧げたあの道この道のたくさんの祠や石造物が暗い山の中で今でも二度と来ぬだろう人々を待っているのか。