- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県九重町
- 広報紙名 : 広報ここのえ 令和7年8月号
『田野神楽』
文化財調査員 増田 裕子
田野神楽の歴史は、そう長くない。大正末期に加来神社神楽師である佐藤菊太郎氏から伝授され始まった。
数年に渡る伝承と道具作りの末、白鳥神社の氏子である荻釣地区の十四名が、「近代御岩戸神楽許可」の免状を渡された。(写真)
その巻物には、神楽の演目三十三番がすべて記されている(田野神楽は口承一番を加え全三十四番)。最後に
大分縣玖珠郡飯田村
神代御岩戸神樂許可
神楽員 十四名の名
昭和貮年九月
講習員
大分郡阿南村
加来神社神樂師
佐藤菊太郎 七十三歳 印
と結ばれている。
その後、一時途絶えたが、四十年程前に復活した。当時一人の伝承者が存命で、神楽員を広く荻釣から白鳥神社の氏子全体に広げて今に至る。
声がかかれば県内各地に出かけた。飯田を出て十日も帰らず次々と舞ったこともある。
巫女舞は、三十年ほど前に宝八幡宮から習い受けた。
一九九六年十一月には、イタリアのヴェニスで催されたジャパンウイークに田野神楽と巫女舞が出場したこともある。
田野神楽は陰陽五行説に基づき、四季の移ろいや人々の暮らしを物語っている。神楽はイベントではなく神様の楽しむもの。神楽員も見物の者も皆、舞い始めと舞い終わりには神様にお参りする。自然と暮らしが織りなす調和を神様に教えていただくのだ。