- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県九重町
- 広報紙名 : 広報ここのえ 令和7年9月号
『大将軍と山の神 その1』
文化財調査員 梅木 恵美
文化財調査委員では、年2回文化財パトロールを行っています。
先日、夏のパトロールで飯田地区・南山田地区を回りました。
7月号のこの欄で、文化財専門員の西村氏が未確認文化財であった「山の神・大将軍のクヌギ」を探して町田の山の中を駆けずり回り、やっとの思いで発見した顛末を書いています。
お陰様で、調査委員一行はすいすいと大きなクヌギの許へ行くことができました。
7月中旬の猛暑日でしたが、一歩山の中に足を踏み入れると、ひんやりとした空気で、気温がスッと下がり心地よい。すぐそばには四季彩ロードが通っているとは思えない、まるでジブリの世界のような杉山の中に、山の主のようなクヌギの木がありました。残念ながらクヌギはずいぶん年を取り、隣の楓に抱き抱えられて寄り添って立っているようでした。
クヌギの足元、苔むした岩の上に、立派な石の祠が2つ。『大将軍』と『山の神』が祀られています。以前の資料では鳥居の写真もありましたが現在は確認できません。今は近くに立派な道路ができ、杉山の中に埋もれてしまいましたが、その昔は田んぼや畑、沢は川になって水が流れ、道があり、人々の里山の暮らしが息づいていた景色だったのでしょう。
『大将軍』とは、牛馬の神様として知られています。
考えられるルーツは、由布市狭間町篠原に、「大将軍神社」(だいじょうごん、と読むそうです)があります。諸説ありますが、その昔、肥後の国の領主細川候が参勤交代の時に挟間に差し掛かるところで馬が急に病になり、近くの大将軍神社に引いて行き祈ったところたちまち病が癒え、元気になった。それ以降、大将軍神社は牛馬の神になったと言われています。境内には狛犬と共に、神馬神牛の像があり、そのうち神牛の奉納は、玖珠郡飯田村清水勘次妻ヒサ、石工は玖珠郡野上村宇佐克己となっており、何かの縁があったのでしょう。他にも別府や熊本県など広範囲から寄贈者があることから、昔は牛馬を大切にし、信仰心も厚く、遠方からでも牛馬の無病息災を祈りに来ていたことが伺えます。
『大将軍』信仰は主に九州を中心に広まっています。九重町にも、町田・尾本など、数カ所に大将軍が祀られています。田野に大将軍という地名もあり、別荘地になっています。
農村地域で農耕に使用されていた牛馬などの守り神になり、疫病、災いを防ぐという意味から愛宕信仰や道祖神信仰とも結びつき、道行く人々を災難から守るため、各地に祀られ広まっていったのでしょう。
もう一つの祠『山の神』こちらについては、長くなりましたのでまた次回…
参考資料:狭間史談 No.7 2020.4