- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県霧島市
- 広報紙名 : 広報きりしま 2025年2月上旬号
巳(み)年が始まり、はや1カ月が過ぎました。今年の干え支との蛇はさまざまな民話や伝説によく出てくる生き物で、不思議な動きをする姿は人々を恐れさせることも。今回は、霧島市の蛇に関する伝承を集めてみました。
■大蛇伝説
江戸時代の薩摩藩における不思議な話を集めた『倭文麻環(しずのおだまき)』には、「襲郷蟒蛇(そごううわばみ)」という話が収められています。寛政11(1799)年、郷士の津曲源兵衛は鉄砲を携え、曽於郡の春山(現在の国分春山)にある野牧までイノシシやシカの猟に出かけました。するとそこで、胴回り2尺(約60センチ)、長さ3丈(約9メートル)くらいで鬼灯(ほおずき)のように赤い目を持った黒い大蛇と出くわします。驚いた源兵衛は、神に祈りながら鉄砲を撃つと見事に大蛇に当たり、その隙に一目散に逃げ帰りました。大蛇を殺すと家にたたりがあるとの言い伝えがあったため、源兵衛はこのことを黙っていました。春山の野牧は藩の馬を育てる場所でしたが、以前は馬が失踪することが度々ありました。大蛇がいなくなった後はぱったりと馬の失踪もなくなり、馬を食べていた大蛇を源兵衛が退治したという話がいつの間にか広まったそうです。『倭文麻環』では、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の話になぞらえ、蛇退治によって功名がたたえられる例だと紹介しています。
■マムシを除(よ)ける
マムシ除けの信仰を二つ紹介します。国分広瀬にある大穴持(おおなむぢ)神社にはマムシ除けの砂があります。『国分郷土誌』によると、祭神が広瀬地区を歩いているときに前方から牛が突進して来たのでよけて麻畑に入ったところ、マムシの巣がありマムシにかまれてしまったそうです。このことから祭神は牛とマムシを嫌うようになり、神社の周辺では牛を飼うことや麻の栽培が禁止され、マムシは出なくなったと言い伝えられています。江戸時代の記録にもマムシを除けるお札を出していたとの記述があり、昔からマムシ除けの信仰が続いていたようです。
牧園町持松にある甲辺(くべ)の水天宮にも、マムシ除けの神としての信仰があります。水天はその字のとおり水の神様で、近くには水路があります。江戸時代以前に難工事でトンネルと水路が通され、新田開発を進めた際に祭ったと考えられています。そこに祭られている御神像は右手には剣、左手には(※)羂索(けんさく)を握っています。水天が持つ羂索は龍索(りゅうさく)とも呼ばれていて、この形がマムシに似ているために、地元ではマムシ除けの信仰につながっていったと考えられています。
霧島市の蛇に関する話を集めると、退治したり除けたりする存在としての話ばかりでした。暑い南九州では夏場にマムシが多く出て、被害が多かったからでしょうか。一方で、恐ろしい存在は翻って聖なる存在ともなります。世界各地で蛇は信仰の対象となり、特に日本では、蛇は水神としての信仰が色濃く残ります。牧園の甲辺の水天のように、水神としての存在からマムシ除けそのものになる例もあるようです。
巳年の今年、身の回りの蛇やそれにまつわる信仰を探してみてはいかがでしょうか。
(文責=小水流)
(※)ひも・縄状のもの。仏教ではさまざまなものを救うための象徴として、観音像などが手に持っている。