- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県霧島市
- 広報紙名 : 広報きりしま 2025年9月上旬号
国指定史跡「大隅国分寺跡」の北側の道路は、都市計画道路「犬追馬場(いぬおいばば)線」と言います。市ではこの犬追馬場線の改良工事に伴って、大隅国分寺跡の発掘調査を行いました。今回は、その発掘調査の成果を紹介します。
■国指定史跡大隅国分寺跡
大隅国分寺跡は国分中央一丁目にあり、大正10(1921)年に国指定史跡となりました。国分寺は天平13(741)年に出された「国分寺建立の詔」により、全国で国ごとに建立されました。しかし、大隅国分寺の詳しい建立年代は分かっておらず、奈良時代末期から平安時代初期にかけて建てられたとされています。
旧国分市の頃から大隅国分寺跡の範囲確認のため、指定地内や指定地周辺の発掘調査を行ってきましたが、建物の位置や配置については分かっていませんでした。
■発掘調査の成果
犬追馬場線の発掘調査は、令和4年度から7年度まで5回に分けて実施しました。調査範囲は、大隅国分寺跡の前から国分小学校前交差点までの約80メートルで、大隅国分寺跡の北側から北東側にかけて、どのように遺跡が広がっているのかを確認しました。
調査の結果、残念ながら大隅国分寺跡に関係する建物跡などは見つかりませんでしたが、大隅国分寺の東端と考えられる溝の跡が確認されました。この溝の跡は南北方向に伸びており、この溝を境に古代の瓦や野焼きで作られる土は師じ器の出土量が減少することも分かりました。
出土した遺物は、縄文時代の土器や石器、古墳時代の土器や鉄製品、古代の瓦や土師器、墨書土器、窯焼きの須恵器、さらに中世の陶磁器などです。遺構と呼ばれる建物の跡や生活の痕跡は、古墳時代の(※)土坑や溝の跡のほかに、古代の溝の跡も見つかりました。
■古墳時代のお墓
国分小学校前交差点の近くから見つかった5基の土坑からは、それぞれ鉄製の矢じりなどの鉄製品が2~6本ずつ出土し、その形態から古墳時代中期初頭(5世紀初め)のものと考えられます。県内の事例などから、この鉄製品が出土する土坑は古墳時代の墓と考えられ、当時の墓制を知る大きな発見となりました。
■現地見学会
発掘調査は今年7月末で終了し、8月3日に現地見学会を開きました。当日は市内外、遠くは熊本県・宮崎県から約100人の参加がありました。見学会では調査区の解説と出土遺物の展示を行い、道路の下から出てきた遺構や遺物に、参加者の皆さんは興味津々でした。
■大隅国分寺はどこに
今回の発掘調査により、大隅国分寺があったと思われる範囲は徐々に絞り込めてきたと考えられます。しかし、依然として正確な範囲や建物跡については不明なままです。これから整理作業を始め、出土したものを精査し、報告書にまとめていきます。引き続き大隅国分寺跡について調査していく予定ですので、今後の報告をお楽しみに。
(文責=森)
(※)人為的に掘られた穴。
※大隅国分寺跡発掘調査場所の詳細は本紙PDF版23ページをご覧ください。