- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県いちき串木野市
- 広報紙名 : 広報いちき串木野 令和7年6月20日号(第236号)
「いにしえの香り」では、市で行っている文化財等調査保存事業などで発見された価値の高い新資料を、隔月で紹介しています。
■本市を襲った空襲の記録
昭和20(1945)年8月9日午前11時2分、長崎市内にアメリカ軍が原子爆弾を投下しました。その同じ日に、特に本市の沿岸に近い本浦、浜町、本町、大原、野元、平江方面へ大規模な空襲があったことが記録されています。右の写真(本紙参照)には原子爆弾のキノコ雲の奥に大きな煙が立ち上がっていますが、これは本市が受けた空襲で発生した火災の黒煙です。
このときの空襲の記録は『串木野駅史』に収録され、米軍の波状攻撃により駅舎や車両・油倉庫などが激しく燃えたことが記録されています。この空襲で串木野市街地の大半は焼け野原となりました。
市来方面には5月初旬の夜半から空襲が始まりました。この時の空襲で土橋町付近が攻撃され、現在、国登録有形文化財になっている「市来大迫家住宅」にも機銃が当たりました。その後、7月30日と8月12日の午前9時に本格的な空襲を受けています。この空襲で、市街地住宅をはじめ、市来農芸高等学校の校舎や市来郵便局、湊町公会堂など湊町周辺は大きな被害を受けました。