- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県いちき串木野市
- 広報紙名 : 広報いちき串木野 令和7年6月20日号(第236号)
■留学生達は、どこで英語を学んだのか
○~留学生は薩摩のエリート集団~
薩摩藩英国留学生一行19名は、4名の視察員と開成所の学生の中から選抜された15名で構成されました。開成所とは、島津斉彬の富国強兵政策の一環として、薩英戦争後の1864年に島津忠義や小松帯刀らによって薩摩藩の洋学校として設立されました。英語やオランダ語の他、砲術・数学・物理・医学・測量術など、西洋の進んだ技術や学問の修得が目的で、教授には蘭学者の石川確太郎、寺島宗則、英学者の上野景範、中浜万次郎(ジョン万次郎)、前島密などが招聘され、生徒たちの大半が藩校「造士館」から選抜された約70名の俊才たちでした。
留学生は、その開成所から家柄、年齢、思想面などをもとにさらに選抜されており、いかに将来を嘱望された薩摩藩のエリートであったかが伺われます。
○~知識を祖国へ持ち帰るために英語を猛勉強~
留学生たちは、英国へ旅立つ船が現れるまでの2ヶ月間、羽島で潜伏しながら英語の勉学に励みました。その後の2ヶ月に渡る船旅の中では、自分たちの英語力を試したと思われます。
ロンドン到着後は、秋から始まる大学生活に備えて家庭教師を招き、全員同居の合宿生活のもと英会話実習を重ね、講義に耐え得る英語力の修得に励みました。
その後、留学生一行は、経費削減と教育効果を考え、ロンドン大学の教官宅にそれぞれ寄宿し、気魄と努力で勉学に励み、各自の素質と理解に応じて取得した学問や知識を、近代国家への建設途上にある祖国薩摩、そして日本に持ち帰ったのです。
薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 南川浩幸
参考文献:犬塚孝明著『薩摩藩英国留学生』
問合せ:薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865