- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県徳之島町
- 広報紙名 : 広報徳之島 令和7年8月号
■尾母の歴史散歩
今回の歴史散歩は「尾母」です。左図は江戸時代末に描かれた徳之島全図で、赤線で表された道は各村への主要道路です。丸で囲んだ「亀津村」の下に「仮屋」の文字があり、そこが代官所の場所(現在は合同会館)です。代官たちが馬に乗って尾母や白井、三京方面に向かうには、高千穂神社横の道を使いました。この道に沿って尾母に向かってみましょう。まず「麦穂の下り口」と呼ばれた道から丘に登ります。神社から上の字名は麦穂峯(方言でムンギャマ)と言いますから、丘の上の多くは麦畑だったのかもしれません。丘はなだらかな傾斜地になっていて、少し進むと県職員麦穂峯寮が右手に見え、間もなく左下から登ってきた道(昭和30年代半ばまでの県道)と合流します。そこから西に住宅地を抜けると、右手に小さな森が見えます。その辺りには昔池があり、周囲は田んぼでした。少し進むと今度は左手に森がこんもりと繁っています。この辺りから渕上生コン横の穴八幡神社辺りを「拝み所(うがんじょ)」と言ったそうです。コウモリの巣となっている広い洞窟もあるとのことですが、入り口が小さく中に入った人はほとんどいないようです。この辺りを「尾母クンキリ」と呼んでいたという話もあり、尾母への里道があった可能性があります。現在は道らしい道がないので、500mほど先の三叉路を左に曲がり下リ、穴八幡神社を過ぎて県道に出ます。昔の道もこのあたりから尾母に向かっており、下田川のダムのあたりを通って、最大の難所浦久田川の谷に下ります。谷底の浦久田橋に行くと、まさに交通の難所であったことがわかります。徒歩でしか渡れない谷で、崖の上り下りで泥だらけになったそうです。そこから尾母に登る道は、旧県道とは反対側に向かっていました。登りきると畑に出ますが、現在はファームポンドが左手に見える場所です。ところで、字図や古図を調べてみても馬に乗った代官たちが尾母へ入るルートは不明でした。やや遠回りになりますが、穴八幡へ下る三叉路を西へまっすぐ進むと、「ヌブスク」と呼ばれる場所に出ます。ここは亀津の人たちが「雨願い(あめねげ)」の神事を行った場所で、周囲で一番高く素晴らしい眺望の地点です。その辺りから尾母に向かう道を進むと下田川、浦久田川の浅瀬を渡ることができます。このルートなら馬での移動も可能だったかもしれません。
(町史編さん室 米田博久)
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