くらし 戦世(いくさゆ)から80年~平和への祈り~

去る沖縄戦で、本町は住民の約半数もの尊い生命と多くの貴重な文化遺産や自然を喪失しました。
戦後80年が経過した今、戦争を体験した世代は年々減少し、戦争を知らない世代へと交代していく中で、沖縄戦の悲劇を忘れることなく、後世に語り継ぎ、平和への願いを次世代へつなげていかなければなりません。

■運玉森の過去と現在
沖縄県公文書館所蔵
1945年5月11日撮影 
コニカル・ヒル(運玉森)は、沖縄戦における日米両軍の激しい攻防戦があった場所のひとつである。
米軍が撃ち込んだ砲弾の値段が100万ドルにも値すると称されていることから、別名「100万ドルの山」と呼ばれていた。
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