- 発行日 :
- 自治体名 : 沖縄県南風原町
- 広報紙名 : 広報はえばる 令和7年9月号
■学問の「自由」を得るために 第二次琉大事件と南風原の学生たち
近頃、世界では、学問の自由がおびやかされることを危惧するニュースがあります。
実は、戦後の沖縄でも学生の自由が制限された事件がありました。1950年代、沖縄では米軍による軍用地料一括払い(プライス勧告)に反対する「島ぐるみ闘争」が巻き起こりました。この運動の先頭に立ったのが琉球大学の学生たちでした。米軍民政府はこれを脅威として、30人余の学生の退学処分の要求と財政援助の打ち切りを琉大に言い渡しました。琉大側は反発したものの、最終的に6人の退学、1人の停学処分を決定しました。この出来事は「第二次琉大事件」といわれています。
当時琉球大学の学生だった赤嶺松栄さん(宮平在住)は、昨今の情勢が第二次琉大事件の状況と重なるようだといいます。そして、当時琉大と琉大南風原学生会から送られた文書を、南風原文化センターに寄贈していただきました。
琉大から送られた文書は保護者宛になっており、この事件は大学の存続をゆるがすものであり、今後学生が運動に参加しないように家庭で指導してほしいとつづられています。
一方、南風原学生会から送られた文書は、この処分に反対するとともに、この事件で退学になった南風原出身の学生への支援を呼びかけています。
運動の中心となった学生を処分し、今後の運動を禁止することで事態を沈静化しようとする琉大側と、その決定に反発する南風原の学生たちの双方の動きが読み取れる資料です。今では当たり前のような気がしている「自由」を得るためにもがいてきた沖縄の歴史が刻まれています。(前城)
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