- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道岩見沢市
- 広報紙名 : 広報いわみざわ 2025年9月号
日本の終戦から今年で80年が経過しました。戦時から現在までの間、私たちの暮らしに大きく影響を与えた出来事などを歴史資料などから振り返ります。
■第6回 戦争の苦難に耐え社会的に貢献した婦人会
厳しい自然と闘う明治の開拓期には、妊産婦は出産当日まで働き、産後回復しないまま働く毎日でした。妊産婦と乳幼児の死亡率が非常に高かったため、明治35年に山口摩津與(まつよ)らが設立した岩見沢婦人会は、乳幼児の健康相談や育児指導などに取り組みました。栗沢では、家庭内に閉じ込められがちな農村婦人の生活改善や知識技能の向上などを目的に、明治43年に砺波婦人会が結成されました。また、北村でも大正5年に設立された北村信用組合が農閑期を利用した女子青年教育に当たり、後に北村牧場などの茶の間を利用した料理や服飾などを楽しむ場にも発展しました。母子に必要とされる健康管理など、女性が当時置かれていた境遇に寄り添った岩見沢婦人会は、15年余り募金活動を続け、昭和7年に岩見沢婦人会館を建設して広く町民に開放し、会館には昭和10年に洋裁学校も開校しました。
一方、日露戦争後、軍人遺族の援護と傷病兵の救済などを目的に発足した愛国婦人会北海道支部は、昭和3年に栗沢村清真布で道内初の季節保育所を開所したと伝えられています。栗沢では、昭和9年に各地の婦人会を統合して栗沢村婦人会が発足し、後に国防婦人会として受け継がれました。昭和12年から中国大陸で戦争が拡大すると、婦人会は青年団らとともに応召(おうしょう)兵の歓送、戦地に届ける慰問袋の作成、応召兵家庭への勤労奉仕などに当たりました。戦地で慰問品を受け取った将兵は「村の状況を幾多詳細に知らせてくれて肉親にも及ばぬ親切と真心に言葉もない」などと便りを残しており、女性やこどもたちの純真な態度や心遣いは、戦地で追いつめられる毎日の中の喜びや励みとなりました。昭和16年にアジア太平洋戦争が始まると、各地の愛国婦人会や国防婦人会などは大日本婦人会として統合され、町内会や部落会とともに勤労奉仕に当たるほか、援農団体の受け入れや傷痍(しょうい)軍人の慰問など多忙を極めました。
戦争の苦難に耐え社会的に貢献した婦人会は、戦後の民主化に伴い会の立て直しに動き、昭和22年に上幌向更生婦人会が、昭和20年代半ば以降は北村・栗沢の各地域に婦人会が新たに誕生しました。
問合先:総務課市史資料室(北村支所内)
【電話】56-2001