- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道新篠津村
- 広報紙名 : ふれあいの里 新しのつ 令和7年11月号
今月の担当:山本(商工観光推進員)
■「〇〇のまち」のブランド化
前回、阿南市はLED関連を中心とした産業が根づいているというお話をしましたが、阿南市はLEDを「光のイベント」の開催などに活用し、官民一体となって「光のまち阿南」を全国に発信してきました。
しかし、LEDを中心とした地域資源をうまく活用できず、成果が出なかったようです。このため、LEDを核とした雇用創出プロジェクトとして、創業や雇用の創出を図り地域全体の活性化を目指すことに。市役所の方にお伺いしたところ「野球のまち」としての取組みは今なお地元の活性化に寄与しているが、今や「光のイベント」は夏祭りとの共催となり「光のまち阿南」としての発信力は低下しているとのことでした。
さて、新篠津村に目を向けてみましょう。「村長室へようこそ」の挨拶に、新篠津村は「田園福祉の村」とありました。恥ずかしながら、新篠津村在住3年目ですが知りませんでした。
福祉施設や新篠津高等養護学校などが村の中心部にあり「福祉ゾーン」を形成し、これらの施設では多くの村民が働き、誰もが豊かに助け合って暮らすことを目指す村の象徴になっていると続いており、これは確かなことだと思いました。
しかし、新篠津村まちづくりの中で『昨今の地方を取り巻く情勢は変化し、新篠津村がこれからも持続的に発展していくためには、地域の現状を的確に捉え、地域の資源を最大限に生かし、これまで以上に村民と行政が一体となり、まちづくりに取り組んでいく必要がある。』とありました。
そのような中、私が新篠津村にやって来た令和5年度に「まちづくり総合計画」基本構想8年間の後期基本計画がスタートしました。『村最大のイベントである“青空まつり”を地域コミュニティの再構築の象徴として開催されるよう支援するとともに、村観光協会が主催するランタン祭り、星座観測などの「空」に関わるイベントを「空のまち」と言う新たな観光ブランド化して進めていきます。さらに、そのブランディングの目玉として、ふれあい公園に天文台を新設し、観光振興とともに子どもたちの学習の場としても活用する。』と書いてありました。令和5年が「田園福祉の村」から「空のまち」への転換点だったと私は思っています。
再び、阿南市の取組みに戻りましょう。何故「光のまち阿南」の発信力は低下し「野球のまち」としての取組みは今なお活性化に貢献しているのでしょうか。詳しいことは分かりませんが、工場進出時に雇用促進は既に終わっていたので、新たな創業や雇用の創出はできなかったのだと考えます。
しかし、観光イベントだけは残りました。ところが「野球のまち」の取組みは官民連携の推進協議会が発足し、推進課まで役場内にできました。ここには野球好きの市民が住み、民間関連の球場、飲食店や宿泊施設があります。見事に上述の下線部、地域の資源が最大限に活かされたのでした。即ち「光のまち阿南」の取組みは観光イベントにインパクトはあったものの、市民と民間及び行政の一体感がなかったものと私は思っています。では、新篠津村の「空のまち」はどうでしょう。
次回は前地域おこし協力隊のトムや早瀬さんの考えを入れながら検証してみましょう。
