- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道泊村
- 広報紙名 : 広報とまり 令和7年7月号
■電灯の初点灯はいつ?
鰊御殿とまり館長 増川 佳子
私が子どもの頃に住んでいた家は、季節の花々が咲く畑とひと家族が食べる分の野菜を植えている畑に囲まれていました。家の前には苺畑があり、今頃の時期になるとたくさんの実がなりました。苺は小さくて酸っぱいものが多く、砂糖をまぶして食べたり、ジャムを作ったりしていた記憶があります。ちょうど泊のお祭りが終わる頃に苺の時期も終わり、畑の脇にあるグスベリ、ブドウが順々に甘い匂いを漂わせてきました。半世紀ほど昔の思い出です。
さて、泊の昔々の出来事として「電気はいつ通ったのですかね。」とお客様に問われることがあります。これが難問で、泊村史にも記載がありません。100年以上も前のことですからご存じの方もおりません。ところが、先日武井家の資料を読み解いて『泊村での電灯の初点灯時期』について考察された文章を見つけました。ご紹介します。(注釈※1・2は私が補足しました。)
[古宇電気合資会社※1 発起人各位へ 武井忠吉からの手紙(大正8年3月4日)の要約]
※1 大正7年設立 地元発起人:川村慶次郎他16名 代表者:武井忠吉
*岩内水力電気株式会社においても古宇郡一円の電灯電力供給の出願があり、競願となる。
*…一致点を見出せず、このままでは点灯が遅くなるのは明らかであり、…岩内水力電気株式会社取締役と会見。双方の誤解を解消し、官庁の意向も質し、…泊村の点灯を促進するために出願書類の却下を承諾した。
*岩内水力電気株式会社の岩内・国富間の送電線路の建設は5月末には完成の予定で、その直後に泊村・神恵内村に至る工事に着工するので、大正8年12月末までには点灯の予定である。取締役が責任をもって断言してくれた。
以上の内容から、初点灯は大正8年12月前になるだろう。
さらに、考察は続きます。
[武井家帳簿(大正8年から大正10年までの金銭出納簿)から]
*大正8年11月23日 法事※2電気料3円73銭の支出。
※2 新築の客殿で電灯の灯りの下で行われたと考えられます。
北海道全域で電気の恩恵を受けられるようになったのは、戦後暫く経ってからだといわれています。それに比べると泊村の電灯点灯は大変早いことがわかります。これも、武井忠吉・川村慶次郎をはじめとした鰊漁場親方衆の気概と決断の賜物であることは明らかです。