くらし 「未来につなぐ町の礎」(余市町長 齊藤 啓輔)(2)

■ワインだけじゃない、余市町の国際化戦略
この1年、余市町は“世界とつながる町”として、大きな一歩を踏み出しました。
2025年2月、フランス・ブルゴーニュ地方の銘醸地、ジュヴレ・シャンベルタン村と親善都市協定を締結。世界屈指のピノ・ノワール産地であるこの地との関係構築は、単なる象徴的な友好ではなく、生産者どうしの技術交流や観光・文化連携、教育面の交流など、多岐にわたる実務的な連携を視野に入れたものです。
また、世界的音楽家でありワインブランド「Y by YOSHIKI」のプロデューサーでもあるYOSHIKI氏が、余市の地で新たなワインプロジェクトを開始。世界展開を視野に入れた“日本発のピノ・ノワール”に挑戦するという壮大な構想が動き出しています。
さらに、北後志各市町村との広域連携も着実に進展し、ワインだけでなく、食・農・観光全体を一体的にブランディングする基盤が整ってきました。私たちが進めてきた「一点突破・全面展開」の戦略が、いま着実に果実を結びつつあります。

■財政は厳しくても、諦めなかった
町政の根底には常に「財源」の問題がついてまわります。どれだけよいアイディアがあっても、予算がなければ絵に描いた餅。けれども、町税収入に限界がある中で、私たちは“財源を生み出す自治体”であることを目指してきました。
私の就任前年の平成29年度、余市町のふるさと納税額はわずか5,800万円でした。それが今では15億円を超える規模に成長。北海道の自治体でも上位に名を連ねるまでになりました。さらに企業版ふるさと納税についても、着実に実績を積み重ねており、町の成長を後押しする貴重な財源のひとつとなっています。
いまや、給食・保育の無償化に必要な費用(給食:約6,000万円/保育料:約2,000万円)も、町民の税金ではなく、全国からのご寄附によってまかなうことができています。
また、道の駅整備、一次産業への支援、スポーツ施設、教育ICT、小中学校へのクーラー設置などの事業についても、国の補助制度を最大限に活用することで、町の持ち出しを最小限に抑えながら、多くの事業を前進させてきました。

■“いない町長”と言われる理由
「町長はいつも町にいない」―。これは私が最もよく言われる苦情かもしれません。けれども私は、あえて言わせていただきます。「町の中だけにいては、町の未来はつくれない」と。
私の仕事は、庁舎内で机に座ることではありません。24時間365日どこにいようが、アンテナを張っており今後の余市町の戦略に思いを巡らせながら、外に出て、人と会い、町の魅力を語り、応援団を増やし、財源を持って帰る。それこそが、首長としての真の責務であると信じています。
役場の中では、副町長をはじめとする優秀な幹部職員たちがしっかりと舵をとり、意思決定はすべて電子化されています。つまり、私は「物理的にはいないけれど、常に決裁の中心にはいる」町長であることを、改めてご理解いただければ幸いです。

■見えてきた「町のかたち」
この7年、私は「よそ者の目」で町を見つめ、「内側の手」で現実を変えてきたつもりです。
外に出て知った“他所の強み”を、余市に応用する。町民から聞いた“生活の声”を、制度に反映させる。役場の中で聞こえにくかった声も、私は現場で拾い続けてきました。
農業、漁業、教育、インフラ、防災、観光、デジタル、広域連携――。町は静かに、しかし確実に変化し、成熟し、次の時代への準備を始めています。
誰かが変えたのではありません。町民の皆さん、そして役場職員一人ひとりの力があってこそです。

■終わりに:未来をつなぐ礎として
私は、町の“主人公”は私ではないと考えています。主役は常に町民であり、町外で応援してくれている皆さんであり、次の時代を生きる子どもたちです。
私はその「黒子」として、土台を整え、風土を耕し、光が届くように障害を取り除く。その役目が、もうすぐ一区切りを迎えようとしています。
この間に、まいた種は芽吹き、花を咲かせ、いくつかの果実を実らせ始めました。そして今、その果実をどう未来へ渡すか。まさに「礎」を築く仕上げの時期です。
私は残りの任期も一日一日を無駄にせず、丁寧に町を耕し続けてまいります。変化を恐れず、信念を曲げず、これからも町政を前に進めていきます。