- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道鹿追町
- 広報紙名 : 広報しかおい 令和7年4月号
●上幌内小学校、貴方は小さいけれどたくさん輝いていました
・上幌内小学校閉校記念協賛会 会長 菊池 輝夫 さん
大正の初め、この地の開拓が始まりました。徐々に集落の形を成してきた同5年、「開拓の子どもたちにも教育の場を」と入植者が立ち上がり音更村役場に陳情。驚くは部落総会にて「費用と労力は自ら賄う」と決議し早速着手しました。この年の7月、先生の着任を得て待望の「上幌内特別教授場」が開校。以来戦争を挟んで二度の改築、移転、中学校併置などを経てここまで109年、1235人の児童を育て世に送り出してきました。
この間50年、80年、そして100年と周年行事を挙行し、その節目を地域住民と共に盛大に祝ってきました。しかし今日少子化が叫ばれる中、本校も児童数の減少が続き、保護者・地域と何度も話し合いを重ね、令和5年春「閉校も止むなし」との苦渋の決断をしました。
風雪に耐え一世紀超にわたり地域のシンボルとして存在しつづけてくれた母校。最大の感謝の気持ちを持って送り出すべく『学校の卒業式』と位置づけ令和7年2月8日、閉校記念式典・惜別の会を挙行しました。
さて、記憶に残る本校の活動を紹介します。昭和40年代中頃から始まった父兄によるスケートリンクの造成。教育では昭和59年に管内一早いコンピューターの導入と実践校の指定。平成に入り、体育に一輪車を取り入れ、「一輪車に乗れる」は本校生の代名詞となりました。
平成11年から26年間にわたり、帯広盲学校との交流学習を行い、他人を思いやる「心の教育」を。そして同13年からは羊の飼育を始め、動物の生死を通して「命の大切さ」を学ぶ教育を行いました。他にも地域を知る学習など多数ありますが、本校は小さいがゆえの、それを生かした特色ある教育を展開してきました。
私の好きな言葉に『北に一星あり、小なれどもその輝光強し』があります。「上幌内小学校、貴方は小さいけれどたくさん輝いていました」。私たち地域、卒業生の誇りです。
結びに、この教育環境を展開していただいた教職員を始め、行政および地域の皆さまに心より感謝を申し上げます。
◆私にとっての上幌内(ふるさと)
最後の卒業生となる2人に思いを伺いました
・上幌内小学校6年 柴田 陽(しばた ひな)さん
私にとって、ふるさとは、人に愛されている場所です。とくに家族です。産んでくれて、本当に感謝しています。ありがとう。私は、おいしいごはんを食べて、元気に育っています。
友だちは、自分の知らないことや、みんなからの愛情・言葉を大切にすることを教えてくれます。
学校は、優しくて、面白い先生たちが勉強を教えてくれます。上幌内は、自然のにおいがたくさんして、とても気もちがよくなります。
自分の心と体を育ててくれた、私にとって奇跡の場所が上幌内と上幌内小学校です。
・上幌内小学校6年 髙橋 玲偉(たかはし れい)さん
僕は、この6年間すごく楽しかったです。それはなぜかというと、人数は少ないけれど、授業の時、ひとりでは分からないときに教え合えたり、児童会に立候補して不安なときに安心できたり、つまずいても、近くに必ず友達がいたからです。
昔は自分のことしか考えていなかったけれど、みんなに優しくされて自分も成長しなければいけないと思い、色々なことに挑戦するようにもなれました。
そのおかげで、今では助けてあげられる人になれました。
これからも、この上幌内小学校を誇りに思い、中学校でも助けてあげられる人になります。
◆「大地の子」の精神は世代を超えて未来へ ありがとう、上幌内小学校
この小さな校舎は、単なる建物ではありませんでした。校庭に響いた子どもたちの足音と笑い声はこの土地の鼓動そのもの。夢を育み、絆を紡ぎ、未来への希望を灯した、かけがえのない場所でした。
109年の長い歴史の中で、上幌内小学校は地域とともに呼吸し、成長してきました。上幌内の大地に根を張る小さな学校は、いつも地域の子どもたちの笑顔で輝き、大人たちの温かなまなざしに包まれてきたのです。たった数人の児童たちと、多くの地元の人々が学校の伝統と精神を最後まで守り抜いた姿は、まるでひとつの大きな家族のようでした。
学校が閉校しても、この土地の記憶は消えません。「大地の子」の精神は、どこにいようと、いつの時代もこの学び舎を巣立った多くの卒業生の心の中で、これからも力強く生き続けます。