- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道芽室町
- 広報紙名 : すまいる 令和7年4月号
■その117
「美蔓神社」(芽室町北芽室四線一一番地)めむろ歴史探訪会 柳澤正弘
「下美生神社」めむろ歴史探訪会 右谷征靖
▽「美蔓神社」
明治二十九年(一八九六年)に愛知県猪高村より十六戸がビバウシに入植、その際猪子神明社の分神をいただき、ビバウシ北三線一一七番地(現北三線九ー一)に奉安したのが「美蔓神社」の始まりである。
明治三十一年(一八九六年)祠を建立「里の宮美蔓神社」となる。明治四十一年(一九〇八年)本殿、拝殿新築落成。大正十一年(一九二二年)社務所を建設。昭和に入り灯籠、大鳥居、社標の寄進があり神社の荘厳さが整う。昭和二十六年(一九五一年)宗教法人に、翌昭和二十七年(一九五二年)「里の宮」を冠除し「美蔓神社」に社名変更する。平成七年(一九九五年)本殿新築、拝殿改築、鳥居・社標の新設、境内整備を行い、開基百年記念式典を行う。
▽「下美生神社」
明治二十九年(一八九六年)に富山県から十五戸が美生中島地区に入植した。日夜開墾に追われていたが、ある程度落ち着きをみせた明治三十六年(一九〇三年)前塚房松が帰郷した折り伊勢神宮に参拝し、御神体を拝受し部落に寄進され、北二線九号角地(現在十勝川築堤の北側)に神社を建立し「美生中島神社」と名付けたのが「下美生神社」の始まりである。
その後洪水による農地の決壊等により住民が転出したことから大正九年(一九二〇年)、止むを得ず大成神社に合祀した。大成神社の老朽化などから翌大正十年(一九二六年)基線西二〇号東側に美生中島から移設改修し「美生村神社」と命名した。昭和八年(一九三三年)大鳥居等が寄贈され地域の鎮守としてふさわしい体裁を整えて何時の頃から「下美生神社」と呼ばれるようになった。
昭和四十四年(一九六九年)この地に日甜芽室製糖工場の立地が決定し、神社もこの工場用地に包含されることになったため用地買収に応じ、御神体を芽室神社に合祀し長年の歴史を閉じた。
■引用・参考文献
「芽室町八〇年史」昭和二七年
「芽室町百年史」平成一二年
「開基百年美蔓史」平成八年
「風雪百年下美生史」平成七年