- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道芽室町
- 広報紙名 : すまいる 令和7年7月号
■その120「上美生神社」「新美生八幡神社」
めむろ歴史探訪会 延與幸嗣
「上美生神社」
上美生地区の開拓は他の芽室地域の開拓と大きく違っている。
集団入植が開拓の主流であるが、上美生の場合は独自にあるいは縁故などを頼り思いもさまざまの入植であった。
そのため、入植した人たちを地域の住民として心を一つに結ばせる必要があった。
「神社を建てよう。神社ならどこから来た人でも一つになれる」
神社に託す永住の決意でもあった。
明治四十年四月、部落会長安藤七助が先輩大島誠四郎に相談。さらに中島伊次郎、村上与吉郎、横川芳太郎の賛同を得て創立される。一本の柱に大島誠四郎が「天照皇大神」と筆を揮い適当な場所に建てて神柱とする。
「上美生神社」の始まり明治四十年四月のことである。
その後、旭川から釧路間の鉄道の開通、また簡易教育所の開設、明治45年芽室市街から上美生間の山麓道路が完成し著しい発展を示した。
その発展に呼応して神社を上美生の中心地に遷座しようとする案が坂井幸太郎らにより建議され、中島伊次郎より神社敷地二反歩の寄進があり造営に着手。
大正元年九月、神職神田捨次郎司祭の下に厳かな遷宮式が行われた。
大正十五年神殿を改築。昭和二十五年法人神社として公認組織された。
昭和二十九年五月の台風により拝殿倒壊。以来、仮拝殿により神事が行われてきた。
昭和四十五年、芽室神社の拝殿が新造営されるにあたり旧拝殿をゆずり受け、昭和四十五年九月に再建工事の完成を見た。
「新美生八幡神社」
昭和三年、時の部落区長が部落一同の賛同を得て創立した。
愛須農場一部を借り新美生八幡神社を建て同年八月神職森本常太郎を斉主として除幕遷宮の式を挙げた。その後、愛須農場は中島武市の所有地になる。昭和十年中島からその敷地二反歩の寄進を受け、昭和十二年八月神殿新築、昭和三十年八月拝殿新築、昭和三十五年十月法人設立登記をした。
法人設立初代の氏子会長は太田巳代治、宮司は中島伊次郎の三男で上美生神社の宮司をしていた中島秀晃が兼務。その後、四十五年拝殿の修理と神殿を新しく改築。
▽引用・参考文献
「上美生郷土史」平成十四年
「芽室町八十年史」昭和五十七年