- 発行日 :
- 自治体名 : 宮城県名取市
- 広報紙名 : 広報なとり 令和7年1月1日号
■第8回増東軌道~かつて増田と閖上をつないだ列車~
かつて名取市には、増東軌道(ぞうとうきどう)というガソリンエンジンで動く列車が、起点の閖上から終点の増田の間を走っていました。
この「増東」という言葉は、増田町と東多賀村の間を軌道が通ったことに由来します。増東軌道は増田町の荘司益吉氏や東多賀村の佐々木多利治氏など、増田や閖上の41人が発起人となって1925(大正14)年に設立した増東軌道株式会社が運営し、1926(大正15)年から1939(昭和14)年の間、閖上停車場・増田停車場の区間を運行していました。
増東軌道の線路の大部分は、現在の県道129号(閖上港線)と重なり、停留場があったとされる場所も、多賀社前・円満寺・下余田など県道沿いのなとりん号バス停近辺に設置されていました。客車として一般乗客や五十集(いさば)(鮮魚売りの女性行商人)が利用し、貨物列車として閖上漁港で水揚げされた海産物などを国鉄増田駅(現在のJR名取駅)まで運んでいました。
増東軌道は10年以上運行していましたが、自動車の普及もあって1939(昭和14)年に廃線となりました。運営していた増東軌道株式会社も1943(昭和18)年に解散しています。
増東軌道については令和12年度刊行予定の新『名取市史』第3巻「近代・現代」に収録する予定です。関連資料をお持ちの方は、ぜひ市史編さん室までお知らせください。
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