文化 写真が語る「いわき」の歴史

■サンマの時代
回遊魚であるサンマは成長して夏から秋にかけ南下します。常磐沖には10月~12月に移動し主漁期となります。まさに“潮目の海”の一つがいわき沖でした。
昭和21(1946)年に千葉県で敷網(しきあみ)の電気棒受網漁が開発されて、サンマの漁獲量が急増し、いわき漁業の主役の一つとなりました。
昭和27(1952)年の記録によると、いわき地方から出漁したのは266隻で、江名港99隻、中之作港67隻、小名浜港60隻、以下四倉、久之浜、豊間の各港でした。
新聞には「いわきの各港には船倉を満杯にしたサンマ船が船足(ふなあし)重く接岸する。サイレンが市場にひびき渡り、待ち構えていた人達がサット船に寄る。まもなく入札が始まる。相場が決まると同時に各船では、大きな「タモ網」で4、5人の漁師がサンマをすくい上げる」と港の熱気を報じていました。
子どもたちは市場周辺で、雑踏に紛れてトラックや万漁籠から落ちこぼれたサンマを拾い集めていました。
サケ・マス漁の盛んだったこの時期、水揚げ高をみると、北洋サケ・マス漁業が“表作”であって、サンマ漁業はいわば“裏作”的な存在でしたが、昭和50年代に北洋サケ・マス漁が撤退するとサンマ漁が中心となり、いわきの港には3~4万トンが水揚げされました。
しかし、海流の変化や他国との競争、漁業従事者の減などで、日本全体のサンマ漁獲量は減少していきます。いわき市はこれに原発事故の風評も加わって苦境が続きます。
回復への道のりは平坦ではありませんが、一日も早く復活してもらいたいと思います。
(いわき地域学會 小宅幸一)