- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県いわき市
- 広報紙名 : 広報いわき 令和7年10月号
いわき地域学會 小宅幸一
紙芝居が今のように絵を引き抜く形態となったのは、昭和5(1930)年のことでした。
物語を活かすのは、即興ともいえる「紙芝居のおじさん」の“しゃべり”です。静止画なのに、登場人物の台詞(せりふ)に魔法を溶け込ませるように声色(こわいろ)を使い分け、子どもたちの心を鷲摑(わしづか)みにしました。この頃、いわき地方には200人ほどの紙芝居屋が存在していました。
戦時下における紙芝居は、簡易保険の貯蓄や防空思想の普及等、学校などの教育現場で戦争遂行の目的に利用されました。これらは「国策紙芝居」と呼ばれました。
昭和20年代半ばから30年代初めにかけて、子どもたちにとって最大の娯楽であった紙芝居はピークを迎えましたが、昭和30年代のテレビ(当初は「電気紙芝居」と揶揄(やゆ))の普及とともに紙芝居は急激に衰えていきました。市内の紙芝居屋は平成時代初期に姿を消したようです。
ところが、紙芝居は教育など別な機能をもって維持されていきます。歴史的な出来事や偉人伝など、地域づくりの経過を理解しやすいストーリーに仕立て、再現されたものでした。いずれも従来の紙芝居屋とは無縁の人たちでした。「語り部」というジャンルが生まれ、それが紙芝居と結び付いたともいえます。
近年登場したのは、デジタル画像をディスプレイ上で順に見せる「デジタル紙芝居」です。パソコン上の静止画像を、話し手の進行に合わせて入れ替えていく手法です。テレビの出現で衰退した紙芝居は、今度は同じパソコン上で、静止画という動画と違った表現で新たな展開を迎えようとしているのです。
