- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和7年7月号
寄稿:市文化財保護審議会委員 佐川 庄司(さがわ しょうじ)
松平定信(まつだいらさだのぶ)は、文化初年に江戸大塚(現東京都文京区)の旗本屋敷や百姓地など約1万2千坪の敷地を購入し、同5年(1808)に抱屋敷(かかえやしき)「六園」を完成させている。六園は、当時の絵図によれば5代将軍綱吉(つなよし)ゆかりの護国寺(ごこくじ)の西側に所在していた。
六園は「むつの園(その)」とも呼ばれ、三段に高低差のある地形を利用し「集古園(しゅうこえん)」「竹園(ちくえん)」「百花園(ひゃっかえん)」「春園(しゅんえん)」「秋園(しゅうえん)」「攅勝園(せんしょうえん)」の6つのゾーンと御殿屋敷から構成されていた。定信の行った古文化財図録『集古十種(しゅうこじっしゅ)』編纂(へんさん)など、文化的事業と密接に関連する庭園であった。
集古園には4棟の蔵が建ち並び、和漢の書画器財や集古十種の版木類をはじめ、定信が収集した文化財を収蔵保管する博物館的施設があった。
竹園は、その名のとおりさまざまな種類の竹が植栽され、百花園には花々を、春園には桜などの花木、秋園には紅葉などの花木、攅勝園には和漢舶来の珍木異草などが植栽されていた。
このように、六園は文化財保存と植物園的性格を併せ持つ定信の博物学的趣向が反映された特異な庭園であった。定信が著した『花月日記(かげつにっき)』には、築地浴恩園(つきじよくおんえん)から大塚六園に度々出かけたことが記されている。
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