- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和7年8月号
寄稿 市文化財保護審議会委員 佐川 庄司(さがわ しょうじ)
東京都江東区白河の霊巌寺(れいがんじ)には、松平定信(まつだいらさだのぶ)の墓所がある。「白河」という地名は定信墓所にちなんだものである。
同じ江東区深川には定信の抱屋敷(かかえやしき)「海荘」があった。定信が定永(さだなが)に家督を譲った後の文化13年(1816)に深川入舟町(いりふねちょう)(江東区牡丹(ぼたん)・古石場(ふるいしば))の地を取得し造営した。邸内の建物の名から松月斎(しょうげつさい)庭園とも呼ばれ、広さ千坪余で、江戸湾を泉水に見立て、富士山や羽田(はねだ)・品川(しながわ)沖、そして房総鋸山(ぼうそうのこぎりやま)まで眺望することができたという。
庭の中央に松月斎と名付けられた建物、その周りには海水を取り入れた汐入の池があり、中島には和歌の神として尊崇された柿本人麻呂(かきのもとのひろまろ)像を安置する社があった。海岸には塩田と塩焼小屋が設けられており、後の移封先である桑名(くわな)藩での製塩に役立ったとされる。
定信は、ここに普賢象(ふげんぞう)という極めて遅咲きの桜を植栽し、築地浴恩園(つきじよくおんえん)から花見を始め、次いで大塚六園(おおつかりくえん)、世の桜が散る頃に海荘が花盛りを迎えるように工夫を凝らし、浴恩園から小舟で海荘に渡り、中国の詩人陶淵明(とうえんめい)『桃花源記(とうかげんのき)』の桃源郷に海荘を見立てたとされている。
図には、桜の他に芍薬(しゃくやく)、琉球躑躅(りゅうきゅうつつじ)、蘇鉄(そてつ)、楓(かえで)、百日紅(さるすべり)なども描かれている。
問合せ:観光課
【電話】28-5526