- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県双葉町
- 広報紙名 : 広報ふたば 2025年3月 災害版 No.166
新山城は、常磐線を境として東西の丘陵とその麓に当時の土塁や堀が残されており、かつては一部が公園として整備されていました。今回は城の西側の構造を少し見てみたいと思います。
新山城は記録によると、元弘元年(1331)に標葉氏が築城し、1400年代後半まで標葉氏の居城であったと伝わります。標葉氏の後は、相馬氏が江戸時代初期まで使用しました。
特に注目したい点として、双葉中学校側に高さ10メートル近い城壁が南北約200メートルにわたって築かれている点があげられます。近隣の城跡と比較してもこれほど大規模な城壁が確認できる城跡は少なく、新山城の特徴の一つと言えます。南側にある城の出入り口(虎口(こぐち))付近には、城壁を外側に張り出させ、側面攻撃をするための「横矢(よこや)」という防御施設が確認できます。上には櫓(やぐら)状の建物があったと考えられ、戦いの際には敵が集中する出入り口を効果的に防御できるように工夫された構造となっています。新山城は全体的に規模も大きく、拠点的な城として整備されたことを物語っています。しかし、標葉氏の城でこうした大規模な城は少なく、現在確認できる姿は相馬氏により改修された結果と考えられます。このため、相馬氏の中世から近世にかけての城造りを考えるうえでも貴重な資料といえます。
新山城の研究はあまり進んでいませんが、旧陸前浜街道の街並みの成立に直接関わる城であり、双葉町の代表的な遺跡の一つです。