くらし 記録として次の世代へ ふるさと絆通信 第120号ずっとふるさと。双葉町。(1)

■双葉町を忘れない
平成23年3月11日に発生した東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故により、私たち双葉町民はふるさと双葉町を離れ、今もなお全国に分かれて避難生活を送っています。
先の見えない不安な生活の中で、町民の皆さんが毎日をどのような思いで過ごし、ふるさと双葉町への思いを抱き続けているのかを、皆さんの声をお聴きしながら「ふるさと絆通信」として連載しています。
そして「ふるさと絆通信」を通して、皆さんの双葉町への思いと心の絆がより一層深まることを期待いたします。

■「ふるさと絆通信」であなたの思いを伝えてみませんか。
ふるさと絆通信では、避難されている皆さんへ想いを伝えていただける方を募集しています。
避難生活での活動や日々の生活の中で感じていること、ふるさと双葉町への想いをこのコーナーでお話ください。双葉町民の方ならどなたでも結構ですので、ご連絡をお待ちしています。
株式会社鹿島印刷所(南相馬市)の記者が町民の皆さんの避難先を訪問し、インタビュー取材をさせていただきます。
掲載する文章は、その内容をもとに記者が作成しますので、インタビューをお受けいただいた方が文章を作成する必要はありません。

問合せ:秘書広報課
【電話】0240-33-0125

■長谷川 晄大(はせがわこうた)さん(下条)
居住先:双葉郡大熊町

▽自宅での思い出は「就学前の4カ月」
小学生になる前年、それまで暮らしていた団地から持ち家へ移って間もなく避難となりましたが、当時はまだ幼く事情がよくわかりませんでした。しかし、成長につれて震災についての理解が進むうちに故郷への関心が大きくなり、帰還困難区域への立入りが可能となる15歳になってすぐ双葉町を訪れました。
自宅に向かう道中、双葉郵便局周辺にさしかかったとき、かつて母親と一緒に歩いたときのこと、自宅では床に転がっているおもちゃを見て町を離れるまで過ごした4カ月間を思い出しました。

▽目指す先は「故郷」
父は新潟県から仕事で双葉町へ移り、楢葉町出身の母と家庭を築きました。私と妹にとっては双葉町が生まれ育った故郷です。幼くして町を離れたため、それまでの日々を懐かしく思い出せるとまではいかない一方、双葉町への興味は膨らみ、父と同じく福島第一原子力発電所で働き、事故からの復興に関わっていきたいと思うようになりました。
避難先となった新潟県での生活は、小学校入学から始まったため周りとはなじめましたが、同じような思いを持つ同級生はいなかったため、ある意味「我が道を行く」のようなところもあったかもしれません。そこで、中学卒業時の進路選択では、県立柏崎工業高校電気技術科に進んで電気関連分野を学び、在学中も気持ちがブレることはなく、福島勤務を前提に東京電力ホールディングス(株)に就職しました。

▽「地域に住んで働いている」参加者として
昨年9月の「ふるさとを、見ようプロジェクト」に参加し、かつて一緒に双葉幼稚園へ通った同級生を含め同世代の仲間たちと交流しながら、双葉町内で過ごす時間を持ちました。ほとんどのメンバーは、久々の訪町で幼少期の記憶を手繰り寄せるような時間だったと思います。唯一「双葉町内で働き、隣町・大熊町で生活している参加者」として、見慣れた風景の中でしたが、日常とは違った懐かしさ、故郷を同じくする同世代の人たちの考えに触れることができ、とても有意義な機会となりました。また、1月に行われた「はたちを祝う会」にも出席し、大人としての自覚を新たにしました。

▽故郷の復興に携わること
東電に入社後、初期研修などを経て福島第一での勤務となり、現在、発電所構内で作業にあたる方々の放射線量管理業務に従事しています。この4月で入社3年目を迎えようとしていますが、仕事の一つ一つが「人々の安全」に関わることなので、必要な知識を勉強しながら一歩ずつ進む日々です。今後とも、この地域に生まれた者の一人として、微力ながら廃炉と地域の復興に向け尽力できればと思います。