くらし 〔特集〕つないできた 熱狂とひたむきの30年(4)

■変わらない想(おも)い(2)
◆今、必要な情報を届ける
・水井 美佐(みずい みさ)さん

FMかしま局長
開局当初からFMかしまの放送を支えてきた。

▽ラジオパーソナリティ人生のはじまり
25年前、新聞でFMかしまの開局とパーソナリティ募集の記事を見て、「自分の得意なことを活かしてできることがここにあった!」と思い、応募しました。
オーディション会場のドアを開くと50人くらいの方が緊迫した雰囲気のなかで座っていて、とても緊張したことを覚えています。そこから、合格したメンバーとの練習を経て、開局を迎えました。

▽FMかしまの使命を果たした東日本大震災
開局当初から、コミュニティ放送の使命は「防災と地域の活性化だ」と叩き込まれてきました。急に起こった大災害に、とにかく必死に放送しては揺れが来ると外に避難しての繰り返しでした。そんななか、市民の皆さんにはとても助けられました。
毎日のように差し入れを持ってきてくれたり、市内の道路の様子や危険な箇所を知らせてくれたりと、たくさんの方に支えられて、市民の皆さんが今必要な情報を届けることができました。そのときにやっと開局当初から教え込まれた使命を果たすことができたと感じました。
実は、開局当初は、ラジオに出ることを恥ずかしがって取材を断られることも多かったのですが、そこから少しずつ関係を築くことができたからこそ、助け合える関係になれたのかなと思います。

▽次の世代に使命を託す
現在は、後継者を育てることに注力をしています。私たちの使命は、これからも変わらず防災と地域活性化。
FMかしまが鹿嶋市の情報発信基地としてなくてはならない存在であり続けられるよう、次の世代にバトンを渡していきたいです。

◆サッカーのまちを支える
・加藤 満(かとう みつる)さん
鹿嶋市スポーツ協会会長

・内野 浩(うちの ひろし)さん
鹿嶋市サッカー協会会長

長年本市サッカーの普及・育成に努めてきた。

▽市内サッカーレベルの底上げ
学生世代のサッカーレベルの向上を図りたいと、当時鹿島高校サッカー部の監督を務めていた内野会長の発案で、1993年から全国の高校生を集めたサッカーフェスティバルという大会を始めました。
当時は、学生の大会というと土のグラウンドを使うことも多いなか、全面芝のグラウンドで開催するという当初の思いを今も引き継ぎ、今では、全国から小・中・高校・レディースの4カテゴリー、全104チームが鹿嶋に集う大きな大会となりました。当初は、自ら会場の芝を整備したり、大会の審判を確保するのに奔走したりと、苦労もありましたが、行政や教育界など、さまざまな関係者の協力のもと、毎年の開催にこぎ着けることができました。
サッカーフェスティバルでしのぎを削った学生たちが、アントラーズやその他Jリーグのクラブで活躍している姿を見るのもまた、感慨深いです。鹿嶋市ではこれまで、FIFAワールドカップやオリンピック、インターハイ、国体とサッカー競技の会場になってきましたが、こういう経験があったからこそ、成功を収めることができたのだと思います。

▽これからもサッカーのまちであり続ける
これまで築いてきたサッカーの環境は、これからも続いていって欲しいです。できれば、サッカーフェスティバルも年に何回か、さまざまなカテゴリーで開催し、鹿嶋から全国に通用するようなチームが出てきてくれるとうれしいです。
鹿嶋にはアントラーズというすごいチームがあり、そこが果たしている役割ももちろん大きいですが、私たち地元の人間もさまざまな関わり方で、サッカーのまちを支えていきたいです。