文化 行方歴史探検2025

風土記の郷「なめがた」4
~古代浪漫(ろまん)の行方郡家(ぐんけ)~
『常陸国風土記』には、653年に「茨城国造(いはらきのくにのみやつこ)、壬生連麿(みぶのむらじまろ)と那珂国造(なかのくにのみやつこ)、壬直夫子(みぶのあたいのおのこ)らが中臣幡織田大夫(なかとみのはとりだのまえつきみ)らに請いて、茨城の地の八里(さと)を割き、七百余戸を合わせて別に郡家を置いた」(一部省略)と記されています。「郡(役所)の西は舟付き場や港のある海。東は国社(くにつやしろ)、郡家の南門には一本の槻(けやき)の大木がある。北西には提賀里(てがのさと)。郡の中には大井という寒泉がある」など、場所についての詳細な記述が見られますが、確証がないため特定されていません。旧玉造町井上地内説が有力ですが、国神(くにがみ)神社を国社と比定する旧麻生町行方地内説など諸説あり、幻の行方郡家に思いをはせるとき、古代への浪漫(ろまん)をかき立てられます。
※郡家とは、飛鳥時代から平安時代に置かれた地方の役所

※常陸国風土記の世界(1999茨城県立歴史館)、鹿行の文化財第53号(2023鹿行地方文化研究会)、麻生の文化第29号(1998)、31号(2000)を参考にしています。

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