- 発行日 :
- 自治体名 : 茨城県小美玉市
- 広報紙名 : 広報おみたま 令和7年6月号
■辻微高地(つじびこうち)遺跡(いせき)―古墳時代、首長が執り行った祭祀(さいし)の痕跡
平成9年、合併前の玉里村で辻微高地遺跡の発掘調査が行われました。調査面積は40平方メートルとわずかですが、火を炊いた痕跡が見つかり、その周辺からは、石製(せきせい)模造品(もぞうひん)や須恵器(すえき)と呼ばれる特殊な遺物が多く出土し、祭祀行為が行われた遺跡ではないかと考えられました。
◇古墳時代の祭祀
古墳時代の首長は、自らが支配する領域の発展や、子孫の繁栄、農作物の豊穣、水上交通の安全などを祈願する、あるいは、その年の吉兆を占うなど、さまざまな祭祀を執り行いました。そしてそれが、集団をとりまとめるための儀式でもありました。
◇古墳時代の祭祀遺物
辻微高地遺跡は、栗又四ケ地内の辻という地区にあります。園部川右岸沿いで、台地と低地の間にある、水田面より少しだけ高い位置に立地しており、この地に立つと、園部川の流れが眼前に広がります。石製模造品は、勾玉と鏡を模したとされる双孔円盤(そうこうえんばん)が出土し、須恵器は杯(蓋・身)の他に把手付碗(とってつきわん)や、はそう(小形の壺の一種)が出土しました。これらの土器は、おおむね5世紀後半から6世紀にかけてのものです。このうち特に把手付碗は、かなり珍しく、政治的、経済的に優位な立場にある人物が使用するものと言われています。
◇祭祀を執り行った首長
この遺跡が立地する場所から考えると、園部川での水上交通と何かしらの関係がありそうです。須恵器の年代からすると妙見山古墳や塚山古墳に葬られた首長ないしはその子孫が祭祀を行ったと思われます。
当時、水上交通は、物資の流通に欠かせないものでした。当時の首長は、この水上交通を掌握し、入手したさまざまな物資により自分の支配領域を発展させていったかもしれません。水上交通の主要ルートである河川は、そのような意味では極めて重要なものだったと思います。辻微高地遺跡では、そのような地方豪族(首長)の姿が垣間見えます。
(小川資料館 小玉秀成)
●語句解説
石製模造品:剣、鏡、玉(勾玉、臼玉)を模して作った祭祀の道具。主に滑石という石を材料にしている。
須恵器:窯で焼かれた土器。古墳時代だと須恵器を生産できる地が限られ、一般的な集落ではあまり出土しない。
問合せ:生涯学習センターコスモス
【電話】0299-26-9111