- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県狭山市
- 広報紙名 : 広報さやま 2025年8月号
三味線にのせて哀切を語る。
芸能を継承し、体現する説経師
若松 若太夫(わかまつわかたゆう)さん
≪プロフィール≫
本名小峰孝男さん。市内在住の説経師。平成元年、先代若松若太夫のもとに入門し、10年に三代目若松若太夫を襲名。12年に東京都指定無形文化財(芸能)保持者、板橋区登録無形文化財説経浄瑠璃保持者に認定される。他にも笹井豊年足踊り保存会の会長を務め、伝統芸能の継承や後継者育成に取り組む。
説経浄瑠璃(せっきょうじょうるり)という語り物の伝統芸能があります。仏教の説経が芸能化したもので、江戸時代初期に流行しました。この説経浄瑠璃は説経節(せっきょうぶし)とも言い、語る人を説経師と言います。現在、全国でも数少ない説経師として活躍している三代目若松若太夫さんにお話を伺いました。
「説経節とは、三味線を弾きながら物語を語る芸能です。元々は、お経の内容を分かりやすく講釈するものでした。時代とともに大衆に親しまれる芸能になっていきました」
説経節との出会いは、大学在学中のことだったと言います。「きっかけは当時テレビで放送していた二代目若松若太夫の特集を見たことです。実際に聴いてみたいと思い、公演に足を運びました」
二代目の説経節を実際に耳にして、その芸に衝撃を受け入門を決意したそうです。
「先代は人物の表現、特に感情移入が上手かったですね。声も、初代ゆずりの美声でした。自分もこういう芸がやってみたいと思いました」
10歳の頃から笹井豊年足踊りの囃子(はやし)の笛を習っていたこともあり、芸事には興味があったと言います。三味線を弾けたことも、入門の理由の一つでした。
「先代は目が見えなかったこともあり、舞台上での所作などは直接教わる機会がありませんでした。先代の姿を舞台袖で見ながら、独学で学びました」
説経師を家業としていた先代と違い、大人になってから説経節を始めた若太夫さん。博物館学芸員の仕事と両立しながら活動していました。仕事の傍ら芸を続けるのは簡単ではなかったそうです。
「最近になってようやく語りというものが分かってきたような感じがします。お客さんや会場の雰囲気によって、せりふや節の間の取り方が自然に変わるようになってきました」
襲名する時に先代が言っていた言葉が、三代目の印象に残っていると言います。
「芸は青空天井で上がないから、自分の努力次第でどこまでも伸びていけるので頑張れと、励ましてくれました」
説経節には「山椒大夫(さんしょうだゆう)」や「弁慶勧進帳(べんけいかんじんちょう)」など、涙を誘うような演目が数多くあります。
「お経から派生していることもあり、亡くなる役回りの人を慰霊する意味もあったかと思います。昔は、話の流れを知っている方が何回も聞いてしみじみと涙を流す、そういう芸能でした」
説経節になじみのない人にも親しみやすいように、三代目ならではの工夫をしているところもあるそうです。
「今の人にも聞き取りやすい言葉に変えたり、昔にはない新しい演目をやったりしています」
9月10日(水)には市民会館で「小栗判官(おぐりはんがん)物語」の公演(詳細は19ページ)が予定されています。「初めての方も、とりあえず一度聴いてみて、少しでも面白いと思ってもらえたらいいですね」
三代目の語りを、ぜひ実際の会場でお聴きください。
(※詳細19ページは本紙をご覧ください)