- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県越谷市
- 広報紙名 : 広報こしがや 令和7年8月号
市では、「越谷市平和都市宣言」の趣旨を踏まえ、平和に対する思いを深めるとともに、「戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさ、平和の尊さ」を後世に伝える事業を実施しています。
今年、戦後80年を迎え、過去の戦争、平和を語り継ぐ節目の年となります。
今号では、市内在住で「平和の語り部登録ボランティア」の菅波昌夫さんの体験談から、太平洋戦争時に東京都台東区から、福島県へ集団疎開をした体験等を紹介します。
■越谷市の平和への取り組み
・越谷市平和都市宣言の制定(平成20年11月3日)
・平和首長会議への加盟
■毎年の取り組み
・広島平和記念式典へ市内中学生派遣
・平和展、平和講演会の開催(11月)等
■菅波 昌夫(すがなみ まさお)さん
私は昭和8年(1933年)に、東京都台東区下谷(したや)で生まれました。当時の家族は、父、母、兄、弟、妹2人と私の7人家族で、父は紳士服の仕立て職人をしていました。
▽集団疎開の途
昭和19年(1944年)、当時の国策で学童疎開が決定し、小学生は縁故疎開か集団疎開のどちらかを選択しなければならず、小学5年生だった私は集団疎開を選びました。昭和19年8月の出発の日、小学校から昭和通りで隊列を組み、上野駅まで歩き上野駅9時発の列車で生徒105人、先生6人、寮母6人で現在の只見(ただみ)線滝谷(たきや)駅へ向かいました。駅から徒歩2kmの道を歩き、目的地である福島県大沼郡西山村(現柳津(やないづ)町)へ向かいました。私はその村の中にある4件の温泉宿(湯治場)で、一番大きな「滝の湯」に生徒50人、先生3人、寮母3人と一緒に生活することになりました。
▽疎開先「滝の湯」での生活
新しい環境に慣れるまでの1カ月くらいは、夜布団に入ると母親が恋しくて、「お母さん…」と言って泣いている下級生もいました。私も寂しさを感じながら過ごしました。
授業は疎開先から徒歩20分ほどの場所にある小学校の空き部屋で行われました。夏は川遊びをし、冬は雪が2~3m降り積もったので2階から出入りし、学校へはわらじを履いて登校をしたことを覚えています。
朝は小川で歯磨きと洗顔をし、朝食の時は必ず「箸(はし)とらば あめつちみよの おんめぐみ」と和歌を合唱してから食べ始めました。日々の暮らしのなかでお腹がすいたときは、畑の大根や生栗、山ぶどう、アケビ、柿、クルミを食べてしのいでいました。山にはワラビ、ゼンマイがたくさん生えており、摘んで宿に持ち帰ったこともありました。また疎開先の宿の畑仕事を手伝うこともありました。肥だめからすくいとった肥料を桶(おけ)に移し、てんびん棒を使って両肩で担いだことを覚えています。
▽家族・友人との手紙のやり取り
家族や友人とは、主に手紙のやり取りで交流を深めていましたが、父が3回ほど衣料や食糧などを持って疎開先へ面会に来てくれました。家族や友人からの手紙は、私の心の強い支え、生きる力、励みになりました。疎開してから東京に戻るまでの約1年2カ月の間にやり取りした54枚(兄27枚、父12枚、母2枚、友人13枚)の手紙は、今でも大切に手元に残してあります。
▽終戦と東京での生活
昭和20年(1945年)8月15日、先生の指示で庭に集まると、ラジオから流れる玉音放送を聞いて、終戦を知りました。皆、静まり涙を流しました。この時に感じた悲しい気持ちは今でも忘れられません。
同じ年の10月21日、1年2カ月ぶりに東京へ戻りました。自宅は空襲で焼けてなくなっており、父・兄と1~2年ほど、自宅近所の6畳一間のアパートで暮らすことになりました。衛生状況は良くなく、南京虫に何度もかまれました。母と弟、妹2人は父の実家である福島県に疎開し、戦後約1年後に東京へ戻ってきました。母からは疎開先で大変苦労したと聞かされました。戦後の食糧事情は良くなく、父や兄が遠くまで食糧の調達に出かけていったことを覚えています。
▽戦後80年、後世に伝えたいこと
私の場合、集団疎開をしたため、直接戦禍の経験はありません。しかし、集団疎開中の状況や生活の様子、当時感じたことなどについて、記録として当時の手紙も今なお手元に残っていることから、戦後80年である今年にぜひ知ってもらいたいです。小学生時代からみると、大人になるにしたがってだいぶ強く生きてこられたのではないかと思います。
今の世の中は食べるものが何でもあり、テレビ、スマートフォンなどで情報も得られ、便利で幸せだと思います。しかし、世界では紛争が絶えることなく、良いようで悪い世の中だとも思います。これからどのような世の中になるかは分かりませんが、二度と戦争をしてはいけないと強く願います。戦争を知らない世代の方々に、ぜひともこの思いを引き継いでいただきたいと思います。
■ミニ平和展
日程:8月12日(火)~15日(金)
会場:市役所エントランス棟1階エントランスホール
内容:令和6年度広島平和記念式典参加者感想文、広島・長崎の被災資料、被爆後の写真資料、越谷市の戦史資料の展示、過去に開催した「こしがや平和フォーラム」のポスター、「平和講演会」講師のサイン色紙等の展示
■平和の語り部登録ボランティア募集
市では、戦争を体験した方や海外における平和活動を体験した方で、小中学校や地区センター等で平和の大切さを話せる方や体験談を文書等で提供できる方を募集しています。また、市にゆかりのある戦時中の資料も募集しています。
申込み:電子申請、電話、ファクス、メールで下記へ
問合せ:総務課
【電話】963-9140【FAX】963-7625【E-mail】[email protected]
ミニ平和展…HP104597
平和の語り部登録ボランティア…HP10322