- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県神川町
- 広報紙名 : 広報かみかわ 2025年3月号(第231号)
◆第46回 渡瀬小学校 150年の歩みを振り返る
令和7年3月、神川町立渡瀬小学校がその長い歴史に幕を下ろします。この学校が創立されてから約150年の歳月が流れました。今回は、その歩みを振り返りながら渡瀬小学校の歴史を感じてみましょう。
◇創立と新たな一歩
明治7年(1874)、渡瀬の地に初めて学校が創立されました。この学校が設立された場所は現在も残る龍宝寺内で、ここから渡瀬小学校の歴史が始まります。開校当初、学校は小さな規模で運営されていましたが、明治18年(1885)には現在の校地に新しい校舎が建てられ、子どもたちに学びを提供してきました。
◇青柳学校との関わり
明治19年(1886)には、青柳学校の分教場として機能するようになります。分教場とは、本校から離れた所に住む児童のために設けられた小規模の教場のことです。
明治22年(1889)に渡瀬村と阿久原村が合併し、若泉村が誕生しました。これに伴い、渡瀬学校は阿久原学校の分教場となりました。その3年後、明治25年(1892)に校名を「渡瀬尋常小学校」へ変更しています。
大正11年(1922)には37年間使用した校舎を解体し、新校舎の建設が開始されました。翌12年(1923)、完成した校舎に子どもたちは胸をはずませたようでした。
◇戦争と時代の変化
昭和16年(1941)、日中戦争を契機に学校名が「渡瀬国民学校」に改められ、基礎的錬成を目的に戦争に勝つための教育が行われました。第二次世界大戦の終戦後は教育の制度が大きく変わり、国民学校は小学校へと再編されます。昭和24年(1949)に若泉村が渡瀬村と阿久原村に再び分かれ、渡瀬村立渡瀬小学校となりました。そして昭和32年(1957)、渡瀬村と神川村が合併し、「神川村立渡瀬小学校」として新たなスタートを切りました。
◇学校の発展と新しい校舎
昭和50年(1975)渡瀬小学校は校歌を制定し、その記念に地域を挙げたパレードが開催されるなど、学校の一大イベントとなりました。そして昭和54年(1979)に現在の校舎の元となる新しい校舎が建設され教育環境が整います。
平成9年(1997)には、アルプス地方を感じさせるチロル風の校舎へ大規模改修を行い、現在の美しい外観が完成しました。
◇時代の終わりと新たな始まり
時が流れ、平成から令和へ。渡瀬小学校は150年の歴史に終止符を打つこととなりました。4月からは青柳小学校と統合され新しい一歩を踏み出します。しかし、どれだけ時代が変わり、校名が変わろうとも、渡瀬小学校から巣立った多くの卒業生たちの誇りと思い出は、決して消えることはありません。
・1874 渡瀬に初の学校が開校
・1885 現在の渡瀬小学校の土地に校舎が建設
・1889 若泉村の誕生
・1892 渡瀬尋常小学校へ改名
・1923 新校舎完成
・1941 国民学校令が公布 渡瀬国民学校へ改名
・1945 第二次世界大戦終戦
・1949 渡瀬村立渡瀬小学校設立
・1957 神川村と渡瀬村が合併 神川村立渡瀬小学校設立
・1979 現在の校舎の元となる新校舎の建設
・1987 埼玉県で41番目の町として町政を施行
・2006 神泉村と合併
・2025 渡瀬小学校 閉校
問合せ:生涯学習課 文化財担当
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