- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県館山市
- 広報紙名 : 広報だん暖たてやま 令和七年10月号
■シリーズ 東京湾要塞と館山
(3)砲台と航空隊につけられた「洲崎」
東京湾要塞の砲台は市内に2箇所建設されました。西岬村(現西岬地区)の坂田と加賀名です。坂田には昭和2年(1927)に「洲崎第2砲台」が設置され、加賀名には昭和7年(1932)に「洲崎第1砲台」が建設されました。砲台の名前は地名から付けられることが多いのですが、洲崎に建設されていない砲台になぜか「洲崎」の名前が付けられています。さらに、昭和18年(1943)には大賀・笠名に洲ノ埼海軍航空隊の施設が建設されました。
防衛研究所戦史研究センターの所蔵する文書によると、洲ノ埼海軍航空隊は当初「安房海軍航空隊」と名付けられる予定でした。しかし、略称が「安房空(泡食う)」となることから採用されませんでした。次に「北条海軍航空隊」という名前が候補に挙がったようですが、航空隊の建設地が館山海軍航空隊よりも北条から遠く、また北条という地名は全国にあるため間違えやすいとしてこの案も採用されませんでした。結局、「洲崎」という名が軍によく知られた地名であることから「洲ノ埼海軍航空隊」と名付けられたと書かれています。
洲崎には文化8年(1811)に海岸防備を担う白河藩によって砲台の台場が設置されています。この台場は安政5年(1858)に廃止されましたが、洲崎は明治時代以降も海防の要地として軍に認識されていたのでしょう。大正8年(1919)には台場跡近くに洲埼灯台が設置されますが、昭和初期には頻繁に灯台の施設が軍に貸し出されました。洲埼航路標識事務所の「航路標識経歴簿」(海上保安庁所蔵)によると、昭和5年(1930)に灯台敷地内にあった施設を館山海軍航空隊に貸し出していて、その後は水中聴音所として横須賀防備隊や横須賀鎮守府に貸し出しています。また、灯台に作られた菜園の一部には海軍探照灯が設置されています。
太平洋と東京湾の境に位置する洲崎は軍の要地として認識されていたことから、離れた場所に作られた施設にもその名が冠せられたのです。
■博物館の休館日
本館・館山城:10/6(月)、14(火)、20(月)、27(月)
渚の博物館:10/27(月)
