- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県多古町
- 広報紙名 : 広報たこ 令和7年11月号
令和7年(2025年)は、昭和20年(1945年)の太平洋戦争終結から80年の節目の年です。広報たこでは数回にわたって戦争を振り返ります。
◆戦争体験を聞く 平山 政勝(ひらやま まさかつ)さん
太平洋戦争があった頃はまだ小さかったので、覚えていないことも多いのですが、家族と防空壕を掘ったことは特によく覚えています。人が入る場所よりも荷物を入れておく場所のほうが広く、その分たくさん土を掘り出さないといけないので、何日もかかる大変な作業でした。戦争が始まったのは昭和16年で、私は翌年の昭和17年に国民学校に入りました。現在の小学校に相当しますが、奉安殿や教育勅語といったものがあるなど、今とは違った形の教育が行われていました。
特に印象に残っている出来事もあり、昭和19年12月3日のことだったと思いますが、B29が燃えながら空を飛んでいくのが見えました。その機体は神代村(現在の東庄町)に墜落したと聞いています。その光景を見て日本は戦争をしているのだと実感し、恐怖を覚えました。
▽戦死した叔父への思い
昭和19年の8月だったと思いますが、テニアン島で叔父が戦死をしています。叔父は出征してから一度家に帰ってきたのですが、「自分はもう戻ってこられないかもしれない」と自分の髪の毛を置いていきました。自分の死を覚悟してどんな思いで故郷に戻って来たのか、叔父の心情を思うと胸が苦しくなります。戦時中の日本では、このように辛い思いで戦争に行った方や送り出した家族が大勢いたと思います。
戦死した叔父は、小さな箱になって帰ってきました。箱の中に「英霊」と書かれた紙が入っていただけだったと記憶しています。当時は遺体を連れて帰ることは困難だったと思います。私の住む次浦区では当時、戦争に行く人・故人となって帰ってきた人を区民総出で送り出したり迎えたりしていました。私はあまり覚えていないのですが、きっと叔父も家族や地区の皆さんに出迎えてもらったのだと思います。
▽戦争を繰り返さないために
世界に目を向けると、21世紀の現在も国家間の戦争や争いなどは絶えず起きています。とても残念なことです。考え方や価値観は一人ひとり違いますが、自分の意見を主張するばかりでなく相手の意見にも耳を傾けて、まずは小さな争いを生まないように努力することが必要だと思います。このような小さな努力の積み重ねが大きな争いを防ぎ、平和な世の中を作っていく力になると思います。
◆編集後記
8月号から戦争に関する取材を何回も行ってきましたので、学校での過ごし方や金属製品の供出など共通するお話を聞くこともあり、取材した皆さんが同じ時代を生きてこられたことがよく分かりました。今回の平山さんも含め、どの方も昔の記憶を一生懸命思い出しながら話をしてくださいました。もちろん「覚えていない」「記憶が曖昧」という場合もあり、歴史や出来事を正しく継承していくことがいかに難しいことか実感しました。
