- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都台東区
- 広報紙名 : 広報たいとう 令和7年8月20日号
■その六 蔦重ゆかりの人物(4) 恋川春町(こいかわはるまち)
駿河(するが)の国(くに)(現在の静岡県)小島(おじま)藩士で、本名を倉橋格(くらはしいたる)といいます。
浮世絵師の鳥山石燕(とりやませきえん)から絵を学んだ春町は、洒落本(しゃれぼん)の挿絵担当からはじまり、作・画の両方を自身で担当した黄表紙(きびょうし)を発表するようになります。また、酒(さけ)の上(うえ)の不埒(ふらち)という名前で狂歌(きょうか)を詠み、多くの文人と交流しました。天明4年(1784)に春町が発表した黄表紙『吉原大通会(よしわらだいつうえ)』では、春町自身は描かれていませんが、蔦重(画像左下で紙と硯(すずり)を持っている男性)と当時の人気狂歌師が描かれています。
■『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』恋川春町作・画安永4年(1775)鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)出版
主人公の金村屋金兵衛(かなむらやきんべえ)は、田舎からひと稼ぎしようと江戸へ向かう途中、目黒不動尊の粟餅屋(あわもちや)で名物の粟餅を注文し、奥座敷で待っている間に寝てしまいます。夢の中で富豪の跡を継いだ金兵衛は、流行りの髪型にし、高価な着物を着て贅沢(ぜいたく)三昧の日々を過ごします。当時の流行語で当世風のスマートさをいう「きんきん」とかけて「金々先生」ともてはやされた金兵衛は、やがて財が尽き、怒った元の主人が金兵衛を追い出すところで目が覚めるのでした。春町は本作において栄華の儚(はかな)さを悟る謡曲「邯鄲(かんたん)」を模し、知的な描写で江戸の華やかな遊びを描いています。のちに大人向けの草双紙である「黄表紙」のはじまりとされました。
蔦重は寛政6年(1794)にこれを再版し、同年に後日談である『金々先生造化夢(きんきんせんせいぞうかのゆめ)』を山東京伝(さんとうきょうでん)作・北尾重政(きたおしげまさ)画で出版しています。
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