- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県鎌倉市
- 広報紙名 : 広報かまくら 2025年11月1日号
■被帽地蔵菩薩像
(重要文化財 絹本着色(けんぽんちゃくしょく) 縦239.4cm 横130.0cm 円覚寺蔵)
皆さんは「高麗(こうらい)仏画」をご存じでしょうか。仏教を主題とした絵画は、日本や中国、韓国など東アジアの国々で制作されてきましたが、韓国の高麗時代(918~1392)の特に後期の作品群は他に類を見ない輝きを放っています。
円覚寺には「被帽地蔵菩薩像(ひぼうじぞうぼさつ)」という、高麗仏画の中でも特に大きく、充実した出来栄えを誇る絵画が伝わっています。頭巾を被った地蔵を中心に、向かって左に経箱を捧げる無毒鬼王(むどくきおう)、右に錫杖(しゃくじょう)を執る道明(どうみょう)和尚、足元には白獅子が配されています。着衣は鳳凰(ほうおう)など精緻な文様で埋め尽くされ、衣の質感まで繊細に表現されています。この細部に宿る美こそ、高麗仏画の本領と言えるでしょう。
鎌倉の地には、中世に多くの禅宗寺院が開かれました。中国から僧侶を招いた際に、禅の教えとともに、海の向こうの文化や文物(ぶんぶつ)も一緒にもたらされたことはよく知られています。しかし、どうして高麗仏画という朝鮮半島のものが含まれていたのでしょうか。
13~14世紀の高麗は元(げん)の支配下にあり、政治的にとても苦しい時代でした。そのような中、仏教を国教とする高麗王朝では、王権の復活を切に願い、荘厳に満ちた仏菩薩の絵画作品をつくり上げたのです。苦しい時代にこそ、最も美しいものがつくられる、一見矛盾しているようですが、国の存続を懸けた祈りを捧げるとき、見たことのないほどのまばゆさや装飾へのこだわりが発揮され、一幅(いっぷく)の絵画へと結実したのです。
この絵画は円覚寺に江戸時代に寄進されたこと以外、どのような経緯で伝来したかは分かりませんが、日本に到着する中国大陸の文物の中で、朝鮮半島の高麗仏画が息を潜めていた可能性は大いにあるでしょう。中世の東アジアがいかに密接に関わり合っていたかを垣間見ることができるのではないでしょうか。
この絵画は、鎌倉国宝館で開催中の特別展「扇影衣香(せんえいいこう)―鎌倉と宋元・高麗の仏教絵画の交響―」で展示しています。世にも麗しい高麗仏画の輝きをご堪能ください。[鎌倉国宝館]
