文化 逗子の詩人 高橋(たかはし)睦郎(むつお)さん

・文化勲章
・市民栄誉賞

逗子在住の詩人、高橋睦郎さん。2024年秋に文化勲章を受章され、これまでの功績をたたえ市民栄誉賞を贈呈しました。今月は、高橋さんの経歴をひもとくとともに、作品や人物像にも迫ります。

■希望どおりの道に進めずとも 歩んだ先の出会いを大切に
詩・俳句・短歌など、さまざまな形式での詩作に加え、演劇・オペラ・能など多方面でも活躍する高橋さん。その多才さは、創作を始めた当初から見られます。
高橋さんが詩と出会ったのは、中学生の頃。同級生に誘われて文芸部に入り、詩作を始めました。2年生になると、新聞の投稿欄へ作品を送るように。詩・俳句・短歌・作文全てに投稿し、入選・入賞が続きます。時には絵を投稿することもありました。
高橋さんは、24歳で上京するまでの生活を振り返り、「『仕方がなく』というのが私の人生のパターン」だったと語ります。生まれてすぐ父親を亡くし母子家庭で育ちますが、その暮らしは貧しく、小学生の頃から働いていました。名門中学を受験し合格するも、入学金が払えず地元の中学校に進学。母子家庭だからと就職試験も不合格となり、高校そして教育大学に進学します。学業とアルバイトを両立する生活で、21歳のとき体調を崩して結核に。治癒したものの教員の道が困難になり、上京しました。
しかしこの「仕方がなく」を受け入れたことにより、中学生で詩に出会い、高校の文芸部ではさらに詩作を深め、大学在学中に第一詩集を出版。それが当時活躍していた詩人の目に留まり、上京しての就職、創作の場へとつながっていきます。「人生はどんな人、どんなもの、どんなことに出会うかで決まる。私が出会いに恵まれているとしたら、出会いの一つ一つを大切にしてきたおかげ」という高橋さん。2月に文化プラザホールで開催された文化勲章受章記念講演会では自身のこれまでを語り、出会いの原点である母にささげる詩を朗読しました。

■好きなことを続けた先の今 これからも創作を続ける
高橋さんが逗子市に転居したのは1986年のこと。海と山に囲まれたまちなみが、上京するまでの多くを過ごした旧門司市(現北九州市門司区)と似ており「移ってきたというより帰ってきた」思いがしたといいます。
多様な作品で、数多くの受賞歴を持つ高橋さん。創作を続けるうちに得意なものへと固まっていく人が多い中、ジャンルを問わず作品を発表し続けています。高橋さんは、その創作意欲を「好きだからやってきただけ。どのような形式であっても、すべて詩だと思っています。この詩は俳句にしようか短歌にしようか、などと考えたことがなく、書きたいと思ったときにはすでに形式を選んでいる」と話します。「八方美人」と言われても多様な創作を続けたことは、1987年出版の句歌集『稽古飲食』での読売文学賞、翌年の詩集『兎の庭』での高見順賞の受賞といった作品の評価につながります。その後も数々の受賞を重ね、昨年には文化の発展・向上に大きな功績のある人に授与される、文化勲章を受章しました。
高橋さんは、現在も複数の連載を持つなど、精力的に創作を続けています。「少なくとも100歳までは仕事をしたい。それまでどんなものに出会えるか、不安であると共に興奮させられる毎日です」。多くのものと出会い、それを作品へと昇華させる高橋さん。その道のりはこれからも続きます。

■プロフィール
詩人。1937年旧八幡市(現北九州市八幡東区)生まれ。福岡教育大学在学中に第一詩集『ミノ・あたしの雄牛』を出版。卒業後は上京し、40代まで広告会社に勤務しながら創作を行った。日本の古典文学やギリシア文学への造詣が深く、関連した随筆や批評での刊行本も多数。

■最新作
[Web連載]高橋睦郎の短歌日記
2025年元日から1年間、出版社ふらんす堂のホームページに短歌を毎日連載しています。

※詳しくは本紙をご覧ください。

問い合わせ先:企画課