スポーツ 厚木から羽ばたく 熱気人 ATSUGIBITO(1)

夢に向かって歩み続ける「熱気人」たち。努力を重ね、ひたむきに競技に向き合う姿勢は、明るい未来へとつながっていく。

■「大好き」を胸に
バスケットボール選手 野口龍太郎(Noguchi Ryutaro)
プロフィル:1997年生まれ。緑ケ丘小・厚木中学校出身。中町在住。大学卒業後、Bリーグ熊本ヴォルターズに入団。現在、アースフレンズ東京Zに所属。191センチの体格を生かしたプレーとスリーポイントシュートを武器に活躍。

力みのないフォームで放たれたボールはきれいな放物線を描き、リングへと吸い込まれていく。けがからの復帰に向けて、膝の状態を確認しながらシュートを打つのは野口龍太郎さん。プロ5年目の今季から、アースフレンズ東京Zに所属するバスケットボール選手だ。

○変わらない気持ちで
野口さんは小学3年生の時にバスケットボールを始め、卒業文集に「プロになりたい」と書くほどのめり込んだ。「中学生の頃、休日は朝からみんなで公園のコートでバスケをしてから部活に行って、部活後も日が落ちてリングが見えなくなるまで遊んでいた」と、夢中でボールを追いかける日々を送った。
高校は、熊本県のバスケットボール強豪校に進んだ。「一番伸びたのは高校時代」と振り返る野口さん。慣れない環境や厳しい練習で、一時は体重が20キロ近く落ちたが、両親や高校の恩師・仲間のサポートで、九州地区の選抜チームに選ばれるまでになった。部活だけでなく学業にも力を入れ、精神面も大きく成長。めきめきと力をつけていった。
大学では、プロを目指すチームメートに囲まれ、2年生の頃から自然とプロを意識しながら練習に打ち込むようになった。しかし4年生の春、不慮の事故に遭い、頭部や腰などに大怪我を負った。緊急手術の後、医師からは「今までのようにはプレーできない」と告げられた。病室のベッドに横たわりながら、引退という言葉が頭をよぎった。
1カ月後、野口さんは市内にある神奈川リハビリテーション病院に移ってきた。リハビリの先生と体育館へ行った時、「バスケしたいでしょ」と言われた。「絶対にジャンプはしないで」と、くぎを刺されながら久しぶりにシュートを打ち、ボールがスパッと音をたてリングに吸い込まれると、「やっぱりバスケは楽しい」と心から思えた。前向きにリハビリに取り組み、3カ月後には熊本のチームから練習に誘われるまでに回復した。理想のプレーには程遠かったが、体を動かせることがうれしかった。手応えをつかんだ野口さんは完全復帰を目指し、練習を続けた。大学卒業後、そのままチームに加入。事故の1年半後、野口さんはBリーグのコートに立っていた。「大好きなバスケができるのは当たり前ではなく、幸せなことだと気づかされた。支えてくれる人のためにプレーしたい」と心に決めた。

○地元への思いと決意
野口さんは、プロ選手になった今も、市内の体育館や公園のコートで中学時代の仲間や出会った子どもたちと一緒にバスケットボールを楽しんでいる。「地元の友だちとバスケするのが一番楽しい」と、昔と変わらない気持ちを大切にしている。
11月、荻野運動公園の体育館でBリーグの試合が開催された。昨年8月に負った膝のけがの影響で、地元でのプレーはかなわなかったが、ベンチから大きな声を出し、チームを盛り上げた。会場には、両親や中学の先生、地元の友人が駆け付けてくれた。「地元でプレーを見せられる日まで続けたい。もっとうまくなりたい」と、悔しさをにじませた。「試合を見に来た子どもたちから、次の選手が出てくればうれしい。厚木の子どもたちの憧れの選手になれれば」と話す野口さん。これからも大好きなバスケットボールに向き合い続けていく。

■「挑戦」が原動力
ポールダンサー 加藤汐里(Kato Shiori)
プロフィル:1991年生まれ。市内でポールダンススタジオを営み、インストラクターとして活動。2024年4月にイタリアで開催されたポールダンスの国際大会「Soul on Pole」に出場。プロフェッショナルクラスのコンテンポラリー部門・アート部門で優勝した。

天井から伸びる1本のポール。腕や脚を巻き付けるように宙に浮き、体の先まで神経を尖らせてしなやかに舞う。「筋力や柔軟性、バランスを一つにして表現する」。市内でスタジオを開き、生徒に教えながら競技に打ち込む加藤さんは、世界大会で優勝を果たしたポールダンサーだ。

○夢中になれることを
加藤さんがポールダンスに出合ったのは18歳の頃。語学留学したオーストラリアで見た大会がきっかけだった。「空中に浮き、体をいっぱいに使う姿がかっこよかった」。初めて目にしたポールダンスに魅了された加藤さんは、妊娠・出産を経験した後、20歳の時にスタジオに通い始めた。「育児や家事、仕事の忙しさなどいろいろな葛藤はあったけれど、挑戦する気持ちを持ち続けたい」と一歩踏み出した。ダンスは初心者で、指導者もいない中、動画で手の位置や体の使い方などを研究し、子育てと両立しながら独学で技を身に付けていった。
大会では、決められた時間内で演技し、技の難易度や美しさ、構成などを採点。ポールに登り音楽に合わせて踊ったり、回転したりと華麗な技が披露される。始めて5年目、韓国で開かれた大会に初出場し優勝した加藤さん。「もっと多くの大会にチャレンジしたい」とスタジオに通う回数を増やしたが、翌年、レベルを上げて挑んだヨーロッパでの大会で惨敗。海外選手の見たことのないオリジナルの技や表現方法、小道具を使った斬新な演技などを目の当たりにした。「自分との差が歴然だった」。加藤さんはスキルを身に付けるためコンテンポラリーダンスを新たに学ぶなど自身を見つめ直した。「表現力が自分の強み。海外の選手と比べて体が小さいので、曲調や歌詞に合った表現を大切にしている」と技に磨きをかけていった。

○いつまでも前へ
ポールの摩擦による火傷や落下でのけがも経験する中、支えになったのは、生徒や家族の存在だ。「やめようと思ったことは何度もある。それでも生徒たちの『演技を見て感動した』『目標にしている』などの声が力になった」と話す加藤さん。12歳になる息子も野球に夢中で、一緒にトレーニングをしたり、試合前には「お互い頑張ろう」と励まし合い、支え合っている。
努力が実を結び、昨年4月にイタリアで開かれた世界大会では2部門で優勝。特に、自由な表現が評価されるコンテンポラリー部門は、力を入れて取り組んでいた。「苦手にしていた部門で評価されてうれしかった」と笑顔を見せる。
現在、小学生から大人まで約50人の生徒に囲まれ、指導にも力を注ぐ加藤さん。「ポールダンスは自分と向き合える大切な存在。母、インストラクター、選手としてかっこよくいるため、体力が続く限り、挑み続けたい」。加藤さんの歩みは止まらない。