文化 古文書でタイムスリップ「江戸時代わが村の暮らし」(53)

■みんな行きたい 花のお江戸に海老江湊〜
「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

▼かさむ納税経費
荒川と胎内川の流域村々の幕府年貢米は、海老江湊から江戸へ送られます。この米を江戸の幕府米蔵に納めるのは、各地区を代表する惣代庄屋たちの任務でした。
船の運送料は幕府負担ですが、それ以外の必要経費は村々の負担です。様々な経費があって、それが増え、みな困っていました。
文政十一(一八二八)年、惣代衆は経費節約の取決めを結びました(本紙写真)。こんな内容です。
▼経費節約の取決め
(1)納税業務を取り仕切る役員は三人にし、毎年くじ引きの輪番で、一年交代制にする。
(2)この三人が一年間その役を果たしたら、翌年、海老江と江戸に出張滞在して、米の送り出しと受け取りの役を行う。
(3)だからこれからは、自分勝手に海老江や江戸への出張を希望してはならない。もし希望を出しても我々は認めない。そんな惣代は、仲間から外す。
▼長期出張は、ごほうびかも?
この取決めと経費節約は、どう関係するのでしょうか。
どうやら、経費が膨らんだのは、海老江や江戸への長期滞在経費が原因のようです。
江戸には四月から十二月まで滞在した記録が『関川村史』にあります。海老江もほぼ同様だったのでしょう。
その出張を自分から希望する惣代がいたとすれば、きっと公費出張のうま味でもあったのでしょうか。楽しみ半分に浪費されたのでは、村々はたまったものではありません。
▼公平を求める改革派
しかし、ことはそう簡単ではなさそうです。
海老江湊から米を積み出す村々の惣代は十四人。なのに、この取決めに記名押印の惣代は十三人。一人足りません。
ここからは推理です。多分、納税業務を取り仕切るベテランの惣代がいて、その地位に居座り、出張者なども独断的に決めていたのでしょう。
それに反発した惣代衆十三人が、この取決めを結んだのではないでしょうか。経費節約に事寄せた改革要求です。
ですが本音は、役員を交代でやりたいというよりは、出張を公平にという要求だったようです。せっかくの役員交代制は、一年後にあっさりと取り止めています。
なぜでしょう。続きは、次回。

〔原文と解説は歴史館に展示、又は、本紙下のQRから〕