- 発行日 :
- 自治体名 : 富山県高岡市
- 広報紙名 : たかおか市民と市政 2025年10月号No.240
■公益に尽くした侠客(きょうかく) 大長(だいちょう)(1771~1856)
大長は幕末高岡の有名な侠客です。定塚町に生まれ、蓮花寺屋伝右衛門(れんげじやでんえもん)と称しました。本業は「大工」、幼名は「長右衛門」であったので人々は大長と呼びました。侠客とは「義侠、任侠を建前としていた人。江戸時代には、町奴(まちやっこ)、ばくち打ちなど、無法者が多かった」と辞典にありますが、中には「弱きを助けて強きをくじく」を地でいく大親分もいました。大長もそんな一人で、困窮した者には衣食を与え、罪を犯した者でも来る者は拒まず家族のように接し、諭して自首を勧めたので、彼の周りには人が集まりました。ある時、巻き添えで牢に入れられ拷問を受けた際には、全く動じずに高いびきをかき、流暢に無実の旨を述べ、釈放されたそうです。またある時、峠道でばくち打ちに囲まれた際には逆に一か八かの賭事を持ちかけ、その豪胆さにばくち打ちが平伏したと伝わっています。また高岡に芝居小屋を建てたり、相撲興行を催したりしました。高岡関野神社には、大長が作り直した神鏡が今も掛けられています。
大長最大の功績は、庄川に大門橋(現大門大橋よりやや下流)を架けたことです。大長の橋建造の請願は長年藩に許可されませんでしたが、大長は一途に出し続け1847年にようやく認可されました。大長を慕う大勢の人々の努力により翌年竣工しました。
『高岡市史』は大長を「慈悲あり、才能あり、度胸あり、義気あり、まことに見事な快男児」と評価しています。
(仁ヶ竹主幹)
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