- 発行日 :
- 自治体名 : 山梨県甲斐市
- 広報紙名 : 広報甲斐 令和7年8月号
「山県」という姓に聞き覚えはありませんか。大弐が「山県」姓を名乗ったのは、母方が武田信玄公に仕えた二十四将の一人・山県昌景の血を引く家系にあり、その「由緒書」が認められたことによります。
大弐は、幼名を三之助、後に甲府勤番だった父の後を継いで「村瀬軍治」を名乗りました。そして甲府勤番を辞めてから江戸に出て、九代将軍・徳川家重の最側近・大岡忠光の家臣になります。忠光の没後に大岡家を辞した大弐は京都に行き、朝廷から「陰陽師関東三十三ヶ国惣司」という役名をもらいます。これは、天文暦や易占いなどを使ってさまざまな吉凶を占う陰陽師の、関東地方の次官を示す役名です。次官を「大弐」と呼ぶことから、「山県大弐」に名を変えました。
大弐は、やがて柳荘塾を開いて多くの人に学問を教え始めます。ここで生涯の代表作となる『柳子新論』を書き上げました。『柳子新論』の核心は「物事の本質を見極めること」「大義名分を守ること」です。そして理想の政治形態とは、天皇親政(天皇が自ら政治を行う古代のような政治の形)であるとしています。これが大弐が亡くなっておよそ100年後の「明治維新」の原動力となります。また、「四民平等」や「富国強兵」といった、時代を先取りした考え方までも論じていたのです。
最終回は、謀反の疑いで投獄された大弐の最期と、大弐が後世に与えた影響などを紹介します。
江宮隆之 著